お茶の薀蓄

確かに、中国茶に嵌った理由は、「とても香りが良くて、おいしかったから」だけだった。当時はまだ回りに、そんなに薀蓄はころがっていなかったので、結構すんなりと入って行けたかもしれない。
ところが、「ほんわか茶飲み日誌」のカワスギ・ヒロエさんの書かかれた文を読んで、なるほどなあと、思ってしまった。
中国茶については、 細やかにいろいろのことが語られているようで、 ビギナーにとってはズバリ、 先人によるそのうんちく堆積の気配が重い。 中国茶の上にうずたかく積み上がったうんちく山が目に入ってしまうと、 「これ掻き分けないと、そこに埋まっているお茶には出会えないわけですか。とっても大変そう。」 そんなふうに感じちゃうんですね。
そうかもしれないなあ。薀蓄を傾けている先人として、やや反省(笑)。
でもねえ、中国茶って、なんか知らないけど語ってしまう部分ってあるんだよね。自分では薀蓄を傾けているつもりはないんだけど、「中国茶なんて、おいしければいいんですよ。」なんて言ってること自体、すでに薀蓄を傾けていることになっちゃうのかも。
何事にも薀蓄は付き物。例えば、栗の御菓子のことについてだって、「おいしいねえ」とか「秋はやっぱりくりきんとんだよね」なんていう言葉から出発しても、その先には、「栗はやっぱり中津川だよね」とか、「くりきんとんといったら、やっぱすやだよね。」とか、さらには、「すやのくりきんとんは、そのときの栗の状態にあわせた砂糖の加減がいのちなんだよな」なんていう薀蓄も傾けられてしまうので、これは中国茶に限ったことではないはずである。
では、なんで、中国茶は薀蓄がこんなに沢山あちこちに転がっているのか・・・。多分、それは茶葉の多様性、茶文化をめぐるさまざまな事象(茶器だの茶芸だの、歴史だの・・・)があまりにも沢山あるからではないかと。
だから、いろんな人がいろんな切り口で、お茶を巡る様々な思いを語りたくなってしまうということなのではないかと思うのだ。
是非、ビギナーの人は、そんな薀蓄の山に臆することなく、ともかく近場から攻めてみて欲しい。それこそ、エベレスト級の薀蓄が遠くにそびえたっていたとしても、山登りをはじめる人は、いきなりそんな高い山を目指さないでしょ。まあ、高尾山ぐらいから初めてみてもらうということで、どうだろうか。
飲んでみないとはじまらないからね。中国茶は。
ちなみに、この画像は、安徽省の黄山茶区で作られる工芸茶。
「孔雀開屏」という名前のお茶で、湯をさすと、次第に孔雀が羽をひろがるのだ。
茶を鼻、口、喉だけではなくて、目からの楽しんでしまおうという工芸茶の傑作。
味わいもなかなかのもの。
こんな薀蓄なら、いかが?


Comments
私にとっての中国茶っていうのは
おいしいなぁ。って思うお茶と
大好きなちまちまつまめるお茶うけがあって
大切にしたい友達と一緒に
うっとりする時間をすごすためのアイテムです。
なんで中国茶?っていうと
自分がコンパクトで精密なものが好きだからです。
あと水遊びが好きだから。
精密なお道具に、じゃぶじゃぶお湯をかけたり、
出がらしたはっぱを茶盤に並べてみたり。
けれど、楽しみ方はひとそれぞれだし、
ウンチクに走るもいいと思います。
それがおしつけになっていなければ。
Posted by: あ | 2004.10.19 at 01:05
>>あさん
押し付けになってしまう薀蓄。確かにあちこちで耳にしますね。とくに、いやなのは「これはこうしなくちゃいけないんだ」という手のもの。どうやろうが、お茶はお茶。おいしく飲めればいいのでは?!と思ってしまいますよね。
でも、僕は、「ええ!そうなんだ!」というような斬新な薀蓄なら、ぜひぜひ耳にしたいとおもう、欲張りな奴なんです。(笑)
Posted by: ひらた | 2004.10.31 at 08:00
自分がきいててちょっと はぁ。ってなるのは、うんちくが嫌なんじゃなくて、
それを語っていることで自己満足してたり、まわりが見えていないひとが嫌なんだ。
…ってことで自分の中で整理がつきました。
Posted by: あ | 2004.11.02 at 22:46