ミッシングリンク 茶食と喫茶の間

ふと思うことがある。人間はなんでも食べるけど、如何して茶葉は飲料がメインになったのだろうかと。もちろん茶菜や茶葉料理という奴はあるが、お茶=食べる葉っぱではないのが一般常識だ。もちろん、茶の起源にまで遡れば、茶は必ずしも喫茶と結びついてはいなくて、薬的な存在だったのだろう。
茶を飲んだ最初の人だと言われる「神農」は、茶葉を食べ、茶を飲んだといわれる。彼はさまざまな薬草を食べては茶で解毒したと言い伝えられているが、その際に取った方法は、茶葉をたべたのか或いは茶を飲んだのか。
薬の系譜ということで考えるのなら、そのままでは食べにくいので、煎じるという方法をとったのではないかと思うのだが、どうもそれも比較的時代が下がってからのようなイメージがある。
三国志に出てくる茶、あるいは、春秋戦国時代の茶は、むしろ「羹(あつもの)」であったといわれる。「羹にこりて膾を吹く」の羹である。つまり、羹=汁物=おすましという感じだったのだろう。椀のねたに茶葉が使われたということかもしれない。このころは、そういう意味では、茶の清飲はしていなかったのかもしれない。
茶葉を食べていたのが、羹になって、さらにそれを飲料としたのだろうか。この流れには、きっと擂茶とか打茶などという特殊な風習も参考になるのだろうが、今のこれらの習慣が何千年も前の風習をそのままあらわしているかということに関しては、ひどく懐疑的な向きもある。
それならば、ミエンなどにその姿が残っている漬物状の茶葉を食べることがメインだったのだろうか。酸茶などという風習が少し前まで雲南省にはこのっていたらしい。
これらの食べる風習が、飲む風習に変わってきた時に、いきなり茶葉を煮るのではなく、餅茶になっていたという不思議。
陸羽も茶経のなかで、さまざまなものと一緒に飲まれることをひどく嫌っている。茶の持つ本来の味わいや効果を減退させるという。陸羽は、茶そのものを飲むことを提唱した。しかし、すでに陸羽の時代には散茶もあったものの、王道は固形茶だ。
昔は茶葉が様々に食べられていた。それが何らかの理由で飲むという喫茶文化に移行し、その後はそれを中心に現在に至っている。製茶技術が生まれた背景に思いを寄せると、茶葉そのものを使うことから、飲む茶に適した製茶をほどこすようになった必要性、あるいは必然性がありあったのだろう。それが如何なる理由なり事情であったのだろうか。
そして食べる茶から飲む茶に移行してしまった時に、食べる茶の習慣はなぜ廃れてしまったのだろうか。生の茶葉を食べる習慣が、おそらくは、何らかの加工された食べる茶に移行し、その後茶葉を湯に抽出させて飲むことになったのだろうが、なぜ、早い段階で固形茶になってしまったのか。そして、そもそも、どのような理由で製茶技術がうまれたのだろうか。
食べる茶と飲む茶の間に確かにあっただろう、移行の理由。しかし、それは既に失われてしまったミッシングリンクなのだろうか。
茶葉そのもの ⇒ 羹 ⇒ 混合茶
⇒ 酸茶 ⇒ ミエン
⇒ 打油茶 ⇒ 擂茶
⇒ ? ⇒ 製茶された茶葉 ⇒ 喫茶
製茶技術は、飲むお茶をよりおいしく指せるために開発されたのか、それとも,保存などを目的に加工が施されたのか?生茶葉から製茶され、飲むお茶が生まれた素地とはどんなものだったのか。そんな興味をめぐっておもいをあちこちにとばすのは大層楽しいことではあるのだが、いつか、このミッシングリンクは見つかるのだろうか・・・。




酸性の土に一定の距離をおいて、実の大きさの3倍になる深さに植えれば良いということなので、自宅のプランターに植えた。最初の頃は、芽がそんなに早く出るわけも無いのに、まだかまだかと毎日のようにプランターを眺めていた。そして待つこと2ヶ月。待望の芽が出た。20粒植えたのに、残念ながら芽が出たものは5つのみ。
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