移転します
【お知らせ】
ええっと、残念ながらココログのディスク容量を目一杯つかってしまったので、これ以上画像をUPできなくなってしまいました。ついては、この週末で新しいサイトに乗りかえる予定でいます。いままでココログでTeaRecipeをご覧頂いていた皆さん、ありがとうございました。
新しい移転先が決まりました。リンクをしてくださっている方、大変恐縮ですが、リンクの変更をお願いします。
新しいサイトはこちらです。
引き続き、Tea Recipeをよろしく御願いします。
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信州から戻って、初詣。神社の清い水を見ていたら、元旦の若水でお茶を飲んでいないことに気が付いた。
若水とは、元旦に汲む水のこと。昔は、年男が川や涌き水を汲みに行ったらしい。熊の湯の甘みのあるおいしい水で入れた茶はおいしかったが、元日の早朝に汲んだ水ではなかったなあ、あの水。
志賀高原では、大禹嶺金萓茶を淹れて飲んだのだが、金萓茶がなかなか飲めた。金萓茶苦手なんだけどなあ。
水と茶の関係って、おもしろい。
硬水軟水というのもあるけど、それよりも、いろんな日本の水でお茶を飲んでみたいものだ。
そのときの標準茶は、なんだろう。
やはり原点の安渓鉄観音だろうか。それとも、梨山か・・・。

去年から、パン好きになった。おいしいパンは、幸せになれる。今年も年初からおいしいパンに出会って、幸せな気分。
志賀高原の端っこにそびえる横手山。ぐるりとあたり一面が見渡せる山頂に、ポツリとたつヒュッテで焼かれたパン。ふかふかであったかくて、そしておいしい。

こんなおいしいパンがあるときは、紅茶を飲みたい。おいしい紅茶も幸せを運んでくれる。多分、ダージリン。それもオータムナルがいい。
ふかふか、ぽかぽか、やわらかくておいしいパン。
そして香りたかく、味わい深いダージリン。
なんともしあわせな組み合わせ。

新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくおねがいします。
ひらたこういち
All the tea in China
http://www.chinatea-net.jp/
Junk Box Photo(Blog)
http://tearecipe.exblog.jp/
All About Japan Chiesetea
http://allabout.co.jp/gourmet/chinesetea/

時間が無いと思ってしまうと、もうそれだけで余裕が無くなる。
「もう5分しかない」と思うか、「あと5分もある」と思うかの差はかなり大きい。
本当にこのごろ「急いては事を仕損じる」という諺が良くできた諺だと感心しているのだ。「急げ、あと5分しか無いぞ。」気が付くと、よくそんな風にスタッフを動かしていることがある。でも、これは間違えなのだ。そのプレッシャーが逆効果であることを、このところ痛感している。
「あわてるな。あと5分あるからな。」という一言が、よい結果を生む。結局、「時間がない」は、自分への言い訳だし、心の余裕をそぐことになる。
だから、これからは、決して時間がないという言葉は使わないでおこうと決心した日。
(画像は、中火の凍頂烏龍に雲南省の野生古茶樹の花を一つ浮かべたもの)

年々師走に向けて時間が流れていくときに思うのは、ずいぶんと遠くまできてしまったなあということ。
自分にとってたいそう居心地の良い年齢だったのは、20代後半だっただろうか。ほんの若造でしかなかった時代だったけれど、30歳というのを一つの目標にしていたあのころは、日々が本当に充実していた気がする。
考えてみると、あのころからすっかり自分の精神年齢は成長しておらず、30に向けてダッシュしたときの助走のようなままで、ここまで来てしまったような気がしないでもない。
ここにある沱茶は、1960年に作られた貴重なもの。ちょうど僕と同じだけ年代を重ねたもの。もっともっと時間がたって、僕の人生がどんなであったか振り返れるようになったときに、このお茶を飲んでみようと思っている。
きちんと年代を重ね、おいしいお茶に育っているとよいな。僕もそれに負けないように、良い年の取り方をしていきたい。年だけ重ねて、飲んでみたら全然おいしくないというお茶のようにはなりたくないから。

クリスマスというイベント、キリスト教徒でもない僕には、その深い意味というのはよくわからない。特に、最近ダン・ブラウンの書いた「天使と悪魔」、「ダ・ヴィンチ・コード」を立て続けに2冊(上下巻合わせると4冊)もよんだからなおさらだ。自分の生活のなかに、うわべだけのイベントはあるものの、キリスト教という信仰はない。
NASDで研修を受けていたとき、同僚のMikeに「僕は毎週教会へいくんだ。君の神様は仏陀かい?」と聞かれたことがあった。教会へいくといったときの、彼の誇らしげな顔をみて、つくづく僕の中に宗教を信仰する心が無いことを思い知った。
「特に信仰している宗教はない」と答えたときの、彼の疑念の目は、いまだに忘れることができない。だからついつい言訳をした。「僕が信仰しているのは自然だ。いうなれば、大地の母が神というところだね。」Mikeは、なんとなくそれでも納得できない様子だった。
「日本人の多くは、生まれると神道の社にお宮参りというのをするんだ。大学受験の時なんかも、天神様という神道の神様にお参りすることが多い。でも、神道を信じているかというとそうでもなくて、結婚式の時はキリスト教の神の前で誓いを立てる。そして、お葬式は仏教式であることがおおい。そういう意味では、無信教なんだろうね。でも、きっと、それぞれの人の中に信じる神様というのがいて、僕の場合、それが自然だということさ。特定の宗教を持っていないという意味では、多くの日本人はプリミティブなんだろうけど、それで幸せなんだよね。」彼の驚いた顔は、いまでもよく覚えている。
信じる宗教がない事を恥じる必要はない。自分の中に、信じられるものさえ持っていればいいのだから。むしろ、さまざまな宗教を受容できる日本人の無節操さを愛すべきではないのだろうか。キリスト教のイベントだって楽しんでしまえる無節操さを。
むしろ、特定の宗教のもつ排他性を考えれば、無節操と言われようと、さまざまな宗教のイベントを受容できるほうがましなんだろう。何千年前から繰り広げられる戦争の多くは、その根底に宗教が見え隠れしている。だから僕たちは自分の信じるものを信じればいいのではないか、いまでもMikeに話した話は、自分の本音であったと思っている。
だからこそ、クリスマスツリーを眺めながら、茶をすするということができるわけなんだが。
今年の頭に、「2004年に飲んでみたいお茶」、「2004年に行ってみたいお店」のアンケートをやった。お茶もお店も、まあ順当な投票結果であったのではないか。
お茶の方は、やはり圧倒的に青茶が強くて、もうすこしプーアールとか紅茶がはいるかなあと思っていのにそうでもなかった。特に台湾茶が人気だった。強いね台湾茶。でも、確かにおいしいしね。高得点を取るのも無理はない。
店の方は、どうしても首都圏あるいは大都市圏のお店の得票数が伸びてしまうのは、この手のアンケートの欠点でもある。なにせ、僕のサイトのビジターは、圧倒的に首都圏の人がおおいのだから。でも、できれば、あまり知られていない地方のみせで、ここは!というのが上がってくると、とても面白いのだがと思う。
こういうランキングは、店の人には気になるのだろうか。まあ、上位にランキングしていたにこしたことはないんだろう。(オールアバウトの中国茶サイトなんて、オールアバウトの数あるガイドサイトの中では、真中あたりに埋もれているサイト(他のグルメサイトは軒並み人気なんだがなあ。)でしかないのだから、そんなに気にする必要はないかもしれない。それでもここのBlogのアクセス数を軽く桁違いにするだけの人が訪問してくれているので、それはそれでありがたいことだ。もっと頑張らなければ。)
それで、今回は「2004ベスト中国茶10」と題して2004年に飲んだお茶、行った茶館(国内編)、行った茶館(国外編)に加え、オンラインショップのランキングもやってみることにした。どんな店があつまるのか、ちょっとたのしみなのだ。
でも、思いのほかオンラインショップを使っている人が少ないのが現実のようで、もっといろんな処のお茶を試す楽しみを知って欲しいなあなんて思ったりする。
とりあえず、投票は24日まで。
みなさんの投票をお待ちしています。

無印良品の中国茶は、すこぶる評判がいい。のーとみさんのblogによると、有楽町のお店ではなんと種類が80種類もあるのだとか。確かに僕の家の近く(橋本)の無印良品にも、数種類だが定番のお茶がそろっている。
それにしても、どうしてこんなに無印良品は中国茶に力を入れたんだろうか。ブームだということもあったのだが、無印良品がターゲットにしたコア層にマッチするという判断があったのだろうか。
で、無印良品がこれから伸びようとしている時期に良品計画という会社の名前を知った。無印良品を展開している会社が、この良品計画だった。
良品計画は1995年の8月にJASDAQ上場を果たしたが(今は東証二部)、当時JASDAQの審査などにもかかわっていた僕自身、この会社の中身をいろいろと点検審査したことがあった。そのときの取り扱い商品にたしか中国茶はみあたらなかったはずだ。
そんなことがあったから、無印良品がなんとなく身近に感じられていたのだが、1997年になって、僕がXiang Le中国茶サロンに通っていたときに、一緒に授業を受けていたMさんという方が、良品計画の役員だった。だから、いろいろとMさんと良品計画談義をしたものだった。
世界のあちこちを飛び回って、さまざまなものと接している、非常に奥行きの深い方だったMさんが、中国で出会ったお茶に惹かれたのは、当然の成り行きだったのかもしれない。どんなにお忙しくても、きちんと教室に参加されるMさんの中国茶に向かう姿勢は、当時へろへろになりながらも、どうにか教室に通っていた僕なんかよりもよほど真摯だった。
サロンが神谷町から東銀座に移ったころからMさんのお姿を見かけなくなってしまったが、そんなころから、無印良品に中国茶が並ぶようになった。だから、多分、推測するに無印良品が中国茶を扱うことになったきっかけを作ったのが、このMさんだったのではないかと思っている。この方が何らかの形でかかわっていたのではないかと僕は信じている(ただし、これは推測であり、真偽の程は不明である。)。
その後、一度だけ、サロンに久しぶりに顔をだした時にMさんにお会いした。そのときにはMさんと無印良品の中国茶のかかわりについてお聞きするのを忘れてしまったが、すでにMさんは会社を退任されたらしいということだった。でも、こんな人間的にも魅力のある方が、まじめに中国茶にむかったからこそ、無印良品の中国茶はきちんとしたものを取り扱っているのではないか、そう信じたい僕であった。
Mさん、お元気でいらっしゃるでしょうか。

確かに、中国茶に嵌った理由は、「とても香りが良くて、おいしかったから」だけだった。当時はまだ回りに、そんなに薀蓄はころがっていなかったので、結構すんなりと入って行けたかもしれない。
ところが、「ほんわか茶飲み日誌」のカワスギ・ヒロエさんの書かかれた文を読んで、なるほどなあと、思ってしまった。
中国茶については、 細やかにいろいろのことが語られているようで、 ビギナーにとってはズバリ、 先人によるそのうんちく堆積の気配が重い。 中国茶の上にうずたかく積み上がったうんちく山が目に入ってしまうと、 「これ掻き分けないと、そこに埋まっているお茶には出会えないわけですか。とっても大変そう。」 そんなふうに感じちゃうんですね。
そうかもしれないなあ。薀蓄を傾けている先人として、やや反省(笑)。
でもねえ、中国茶って、なんか知らないけど語ってしまう部分ってあるんだよね。自分では薀蓄を傾けているつもりはないんだけど、「中国茶なんて、おいしければいいんですよ。」なんて言ってること自体、すでに薀蓄を傾けていることになっちゃうのかも。
何事にも薀蓄は付き物。例えば、栗の御菓子のことについてだって、「おいしいねえ」とか「秋はやっぱりくりきんとんだよね」なんていう言葉から出発しても、その先には、「栗はやっぱり中津川だよね」とか、「くりきんとんといったら、やっぱすやだよね。」とか、さらには、「すやのくりきんとんは、そのときの栗の状態にあわせた砂糖の加減がいのちなんだよな」なんていう薀蓄も傾けられてしまうので、これは中国茶に限ったことではないはずである。
では、なんで、中国茶は薀蓄がこんなに沢山あちこちに転がっているのか・・・。多分、それは茶葉の多様性、茶文化をめぐるさまざまな事象(茶器だの茶芸だの、歴史だの・・・)があまりにも沢山あるからではないかと。
だから、いろんな人がいろんな切り口で、お茶を巡る様々な思いを語りたくなってしまうということなのではないかと思うのだ。
是非、ビギナーの人は、そんな薀蓄の山に臆することなく、ともかく近場から攻めてみて欲しい。それこそ、エベレスト級の薀蓄が遠くにそびえたっていたとしても、山登りをはじめる人は、いきなりそんな高い山を目指さないでしょ。まあ、高尾山ぐらいから初めてみてもらうということで、どうだろうか。
飲んでみないとはじまらないからね。中国茶は。
ちなみに、この画像は、安徽省の黄山茶区で作られる工芸茶。
「孔雀開屏」という名前のお茶で、湯をさすと、次第に孔雀が羽をひろがるのだ。
茶を鼻、口、喉だけではなくて、目からの楽しんでしまおうという工芸茶の傑作。
味わいもなかなかのもの。
こんな薀蓄なら、いかが?


台湾でならありそうなこんな飴。きっと去年の花粉症騒動?!のときに、考え出されたんだろう。たまたま行ったスーパーに売られていた。
凍頂烏龍茶から抽出したエキスに12種類のハーブエキスを混ぜ、さらに紅茶エキスを混ぜている。まあ、普通ののど飴と思えば、よいかもしれないが、どうせなら、凍頂烏龍の味わいをもっと前面にだしてほしかったなあ。
NOBELの商品。
(たまには、こんなネタもいいか・・・。)

今日は姪っ子の20回目の誕生日である。もうそんなに時が経ってしまったのかと、まったくもって時間は早く流れるものだ。
僕がNYで暮らしていた15年ほど前、彼女もニュージャージにいて、一緒にクリスマスやキーウエスト、ディズニーワールドなどを楽しんだものだが、その姪っ子もいまや成人。そして中国茶好き。
そんな彼女の誕生日プレゼントは、前から気に入ってた周菊英女史の茶壷と、紫砂の茶海、そして台湾のお茶をプレゼントした。
じっくりとお茶を楽しんでほしいのもだ。

秋がだんだん色づいてきて、風の中にも秋の香りが立ち込めるようになった。
秋の香りといえば、記憶の中によみがえるのは、やはり金木犀。
高校に通う道すがら、金木犀の木が何本か植えられていて、秋になると小さな花が一面に咲いていた。秋のコンサートに向けて、ギターの練習を部室にこもってしながら、時々窓から入ってくる金木犀の香りにふと、思いを飛ばしていたあのころ。
そういえば、このコンサートは、いつも学園祭の後に開かれていたっけ。オフコースだの、だれかのオリジナル曲などを、一人で引き語りしてたのは、高校2年の頃。そのすぐ後、僕は写真部に移籍した。でも、少女マンガばかり読んでいる不真面目な部員だったなあ。当時の写真で残っているのは、戸隠牧場で撮影したマホ先輩とチズのポートレートだけ。
そういえば、高校2年の学園祭は、クラスの皆と映画をつくった。監督は今は警察官になっているはずの花輪。助監督が大山と僕。いまもまだ使われている「公孫樹祭」という学園祭の名前を考え出した宍戸の家に泊まりこんで撮影した8mmを編集したんだっけ。代わりばんこでカメラ回して、音撮りをして、なんどもNGだして。みんなで大笑いしながら、 楽しんだっけ。主役の水上とか、籾井とか、みんなどうしているんだろう。
あのときの映画に使ったバラード曲がイーグルスの「ならず者」だった。何故かこの曲が僕には金木犀と関連付けられている。映画を撮って歩いていた時は夏の終わりだったので、直接この曲とは関係がないはずなのだが、案外記憶なんていいかげんなものかも知れない。
それでも、金木犀の香りに誘われて、秋にはときどきそんな思い出を引っ張り出しながら、高山茶を飲む。ずいぶん遠いところまできてしまったんだなあ。

家族で買い物にでたら、あちこちで金木犀の香りが漂い始めていた。
自転車を止めて、香りの元を探すと、まだ蕾?というような小さな金木犀の花が咲き始めているのを発見した。
まだ、こんな蕾みたいな状態なので、とてもよい香りがする。
徐々に、香りが強くなっていくのだろう。
桂花の乾燥させたものを、高山茶の上に振りかけて、自家製の桂花烏龍茶作って、そろそろ飲みたくなっていた。
もう、秋なんだね。

1996年8月にプレオープンし、1996年11月に本番稼動した僕のウエブサイト「遊笛山房」。最近はオールアバウトの更新に時間がとられ、また重なる部分も多いことから、ほとんど更新せず放置状態だった。遊笛山房という名前も、もうなんだか役割が終わった気もするので、昨年からサイトを手直しするぞ!と思いつつ、全くいままで手付かずだった。
ここにきて、仕事のペースも掴めるようになったから、ちょっとずつもう一度全てを見直そうと思い、ようやく週末から手を入れ始めた。
サイトデザインよりも中身だということは分かっているんだが、どうもついつい表紙デザインを如何し様かなどとあれこれ思い悩んで、そこだけ出来たらもう終わった気でいる。(笑)
まずは、ChinateaABCから再構築。まだまだ書きかけのページが我が家のMOの中に沢山あって、UPすらされていなかった状態なのだが、今回はできるだけミニマムにと思っている。これだけ中国茶の情報があちこちで見られるようになったので、基本的なあるいは共通するような情報はそちらを見ていただくことととして、焦点を絞ろうかなと思っている。
とにかく、このサイトのメインは、「中国銘茶図譜」であるわけで、ここにどれだけ手をかけられるかということ。飲んで画像を撮ってそのまま放置してあるものや、既に新しい茶葉の画像がありながら、内容を見直してないページとか、そんなところがたくさんある。これも少しずつ進めていかないとぜんぜんはかどらないなあ。
それから、お店の情報は、常に手を入れないと使えないので、全面見直しが必要。オールアバウトで紹介しているお店もあるので、原則情報としてのリストにしようかなと思っている。
本の情報は、すでにamazonなどの検索機能を使えば国内で発行された関連書籍の詳細を見ることができるので、ここに掲載されていないようなものだけにとどめようかと。
まだまだとりかかったばかりなので、サイトを立ち上げたばかりの人のホームページ状態だが、とにかく手を入れよう。ということなので、今しばらく、こんな状態になってしまうとおもうが、利用されている方には、ご了解願いたい。
新しいサイトは以下のとおり。
All the tea in China
http://www.chinatea-net.jp/
P.S.
恵さん、100qですが、アドレスが変わりました。
よろしくお願いします。m(__)m

とても残念なことだが、11月一杯をもって、ニフティーにあった「茶の文化フォーラム」が廃止になる。ここでいろんな人たちと知り合えたのが、今では僕の財産になっているのはいうまでもない。そしてこんな素敵な場所が無くなってしまうのはとても寂しい。
そこで、もともとのスタッフを中心に、場所をニフティーから専用のウエブサイトに移して、心機一転、あらたに明日22日からスタートすることになった。名前も「Tea World Communication - ftea」。
基本は、掲示板。いろんなことをここでみんなで会話しようというニフティー時代からの基本的コンセプトはそのままに続けていくことにした。
その上で、スタッフが気ままに綴るblogだのリンク集だのと、お茶の文化に関する関するポータルサイト的な役割をももってしまおうという欲張りなサイトを目指している。
それから、途中で中断してしまっているが、「All About Tea」の翻訳プロジェクトも継続していこうと考えている。
興味のある方は是非覗いて見てほしい。そして是非参加してください。
なお、ちなみに、新生fteaのスタートを記念して、10月30日(土)にはTea World 2004というお茶会も予定している。詳しくは、新生fteaのイベント掲示板を参照のこと!

僕の大好きな香港には、中国茶の店がたくさんある。大きくて有名な店から、本当に地元密着型の小さなお店までさまざま。観光客に近い僕のような人間には、地元密着型の小さなお店は、なかなか入りずらいし、どれがおすすめかというのも、語学の関係でなかなか通じなかったりする。
もちろん、あらかじめさまざまな情報があって、足を踏み込むことのできるお店であるのなら、それなりに、あるいはおもったよりもずっと収穫が多い。
僕たちの仲間内では、すっかりと有名な茗香茶荘などは、息子さんがいないとほんとうは言葉が通じないので全くのお手上げ状態。でも、僕たちは、ここの「冠軍茶王」がおいしいという情報を持っている。冠軍茶王がおいしいということは、その手のお茶なら、基本的には満足できる水準のお茶だということを推し量ることも可能だ。
身振り手振りで、他のお茶の試飲もさせてくれる。しかも、お茶仲間のMOMOさんという強い味方がいるので、本当に助かってしまう。
ところが、町の真ん中にあるような、何気ない町の中のお茶やさんは、なかなか入るのに勇気がいる。もちろん一歩入ってしまえば、こちらも厚顔無恥ぶりを発揮して、英語でがんがん話しかけて、話が通じないなら、身振り手振り、あるいは、筆談という手がある。

そんな風にして、突入したのが祺棧茶行(KI CHAN TEA)。もちろん、名前は知っていた。ここのお茶も飲んだことはあった。でも、どうもこのお店、地元密着型。旅行者にしてみると、なかなか入りにくい雰囲気。お店もいかつい親父たちが数名。タバコをすっていたりする。
店のつくりは、結構明るい。えいやあと、飛び込んでみた。お徳用プーアールと白牡丹。これが今回の狙い。プーアールは、「ポウレイチャ」で通じるので、散茶でおいしいものを出してもらう。英語は、このときはだめだった。
最初にだしてもらったのが、やや酸味のある若いもの。明らかに黴臭がある。無言で首を横にふると、試飲させてくれた親父は不服そう。「黴臭」が通じない。なので、もっと甘みのあるものと伝える。次にでてきたのにも満足いかない。これでこの値段か・・・。そして4度目に出てきたのが、これならという品物だった。たしかに、散茶では、これが限界なのかもしれない。林奇苑だと、餅茶をくずしたものを出してくれるんだが、ここは、餅茶は餅茶としてしか売らないみたいだ。こういうところに、コミュニケーションの限界が出てくる。やむをえまい。
白牡丹は、最初から上等なものをと指定して出してもらう。まあ、これだけねばって、あれこれわがままままいうのだから、多少は多めに購入しないとねえと、両方とも1斤づつ。これはまあ、お茶仲間にお土産だね。白牡丹は、普段のがぶ飲みにもOKなので、消費可能だろう。
こういうお店に一度、一人で飛び込めるようになると、厚顔無恥ぶりに拍車がかかるが、それ以上に度胸がすわるのはそれなりの収穫だろう。おいしいお茶を求めての御茶屋めぐりには、この度胸こそ、必要なものではある。

海風號のパッケージと対照的なのがFormosa Tea Connectionのもの。まず、和紙の手触りがとてもよい。しかも、そのパッケージングの仕方がまた凝っているのだ。これはオーナーの留美さんの手つくり。センスが抜群のそのパッケージ見たさにお茶を買ってしまいたくなる。
その表を包んでいる青い和紙を剥ぐと、銀色のアルミガゼットが出現するのだが、そこにも、ちゃんと美しい書体のシールがはってある。それがまたなんともリリカルだ。
Formosa Tea Connectionの茶譜と同じ書体。色つきのフォントだが、日本古来からの色使い。そんな端々にまで気遣いの置き届いたお茶のパッケージは、ちょっとお目にかかれない。
そしてそんなパッケージを開けて出現する台湾茶は、作品と呼ぶにふさわしいできのお茶だ。これはとにかくFormosa Tea Connectionのお茶を飲めばすぐにわかる。
パッケージとその中に包まれてるお茶の味わい。そんなものがハーモニーとしてFormosa Tea Connectionのお茶は存在しているのだ。

今日はまう茶のお茶会に参加させてもらった。去年も参加した「梨狩り茶会」。その名前のとおり、梨園で梨をとった後、梨などを食べながら、お茶を飲もうというもの。なんか短絡的な名前だなあ。(笑)
で、場所は去年と同じ「田村果樹園」。川崎市多摩区中野島にある果樹園だ。このあたりは、多摩川梨といってこのあたりは多摩川に沿って梨園がたくさんあるのだ。この中野島も梨園があちこちに点在している。今の時期一番おいしいのは赤梨の豊水。この梨は、本当に甘くておいしい。
梨は、実の部分をもって、それをくいっとひねって上に持ち上げると、すぐにもぐことができる。すこし赤味のある、表面がつるりとしたのがおいしい梨なんだとか。去年より若干小粒の梨。よさそうなものを選んで5つばかり。ちょうど2キロだった。これは嫁さんと息子にお土産。
僕らが梨狩りを終えた後、団体さんが梨狩りにきていた。人気の果樹園なのだろう。
ひとしきり、梨狩りを楽しんだ後は、梨園の一角を借りてそのまま茶会。

緑茶から初めて、鉄観音、岩茶、単叢のあと、台湾茶など、10種類ぐらい飲んだだろうか。なにを飲んだかは、きっとみえさんが記録してくれるに違いない。(笑)
お菓子もいろいろとあって、蒸し暑い野外でのお茶会だったか、妙にまったりと。三枡屋の麦落雁とか中野島銘菓「なかのしま餅」などの和菓子や、みえさん特製のケーキ、台湾の牛舌餅や茶葉梅、そして田村果樹園でいただいた梨などを方張りながら、おいしいお茶をいろいろとわいわいと楽しんだ。
3月にシンセンで買ってきた「古単叢」や蘭亭の香檳烏龍が妙においしくなっていて、びっくり。ここの水にあうお茶だったのだろうか。
相変わらず、蚊の攻撃にはめげたものの、おいしい梨とおいしいお菓子と、そしておいしいお茶でほっこりした午後だった。ああ、今日はなんだか小学生の作文みたい。これで最後に、「またきたいとおもいました。」とでも書けば、本当に息子の作文だ。(笑)
P.S.
参加できなかったTCCの仲間には、次回TCCの「京都の和菓子を楽しむ品茶会」に株さまが梨を持参するそうだ。おおいに期待していてほしい!

「忙しすぎて」 なんだか歌の題名みたいな響き。でも、そんな歌はない。「愛しすぎて」とか「寂しすぎて」とかそんなのだったらあるかもしれない。でも、今の僕の状況は、本当に「忙しすぎて」なのだ。誰かが、「忙し好きで」と読み違えそうだが、決してそんなことはない。
だいたい、いそがしいから、こんなくだらないことをネタにするしかないという現状がめちゃくちゃ悲しい。そこまでしてUPする必要もないのだと、またのーとみさんに言われてしまいそうだが、それでも自分のサイトを更新できない今、ここを継続するのがとりあえずの気休めなので・・・。(苦笑)
夢枕獏の本を買い間違えた。本当は、のーとみさんが書いている「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を買わなくちゃいけなかったのだ。でも、寝不足の僕が手に取ったのは、「 魔獣狩り 」だった。こりゃ、寝不足の頭では絶対に読めないエログロの世界。スプラッターだなんて、そんなことはいってられない展開。こりゃブックオフ行きだな。
「天国の本屋 うつしいろのゆめ」にすればよかった。結構、このシリーズすきなんだよね。「海猫」でもいいかも。伊藤美咲がヒロイン役をやっている映画が作成されているらしいが、ちょっと見てみたいきもする。あとは「スイングガール」か。これも映画になるね。先週「NARUTO」を見に行ったときに、予告編をやっていた。
寝不足で、頭がぱにくっているときには、素直にすっとよめて、人畜無害な本がいい。もうすこし、体力が戻ったら、海外物のミステリーにでも手をだそう。
そうだな、これから秋に向けて岩茶を飲みながら、そんな読書三昧も良いかもしれない。その楽しみのために、今はがんばって仕事をする。今日もタクシー帰りだけど。

赤い色って、結構すきなのだ。昔から好きだったわけではなくて、そう、35を過ぎたあたりからかな。年を取ると派手になる?(笑)
お茶のパッケージで、こんなにまっかっかなのは、ほかにあまり見かけない。でも、この派手さ加減がまた妙に気に入っている。
最近だいぶあちこちで見かけるようになったこのスタンディングパウチ。でも、こんなに赤いのは海風號のだけだね。これに以前は、黄色と黒の海風號のシールが張ってあった。これがまたいい具合の色合いなのだ。
お茶のパッケージって、そのお店の趣味が如実にあわられていると思うのだ。Formosa Tea Connectionの渋いのも大好きなんだけど、海風號のこの派手なパッケージもとてもよいと思う。
もちろん、なかに入っているお茶のおいしさが伴うことが最重要であることはいうまでも無いけれど、こんなところに、何気なく気を使っているのって、やはり買う側としてはうれしいと思う。

今週はまたまた忙しさに拍車がかかって、自宅に帰るとそのまま着替えてベッドにという生活が続きそう。じっくりゆっくりお茶を飲むなんてことは望むべくも無く、オフィスでデスクのPCに向いながら片手で飲んでいるのは専らペットボトルのお茶。マグカップにお茶を作ることもできないのだから、かなり悲惨な生活である。
ところで、せめてペットボトルのお茶でもおいしいものをと、通勤がてら近所のコンビにを覗くのだけど、またぞろいろんな新作ペット茶が棚に並んでいて、どれにしようか迷うことしきり。
いくつか目新しいものに手を出したりしてしまうんだけど、結局最近ではほとんど無意識に手にとってレジに持っていくのはこれらのお茶(上下の写真参照。)

いわゆる、これらのお茶が僕の定番ってことになるのかな。では、この定番って、なんで定番になるんだろう。僕の場合基本的には「違和感のなさ」が重要な地位を締めているような気がする。
飲んでいて気にならない。普通に飲める。時に、ああ、ペットボトルにしては美味しいかもしれないなんて。なんでそれがサントリーの烏龍茶なのか?うーん、この当りは自分でもよくわからない。慣れ?というのもあるのかな。普段お酒を飲まない僕は、大抵飲む席では相手がきづかってくれて、烏龍茶が出てくるが、大抵はサントリーの烏龍茶。もちろん高級な料亭などの場合は、結構おいしい煎茶がでてきたりしてそれはそれでうれしいのだが。そんな席を数こなしていると、サントリーの烏龍茶は、いわゆる中国茶としてというよりも、普段の生活に近いところにある飲料とでもいったらいいんだろうか、そんな感覚になってくるのだ。
やはりこれも慣れなんだろうか。すっと口の中にはいって、そこにある香りとか味わいの奥深さなどをじっくりと堪能するというお茶の飲み方ではなく、水をごくごく飲んで、ああおいしかった、そんな感じに近いのかもしれない。
伊藤園の「おーいお茶」もサントリーの「烏龍茶」も無香料だというのが、そんなの見やすさにつながっているのかもしれない。飲み易いから飲む。飲むから慣れる。慣れるから定番になる。定番ってそんなものかもしれない。

火と水は相容れない性格。でも、火と水が出会って恋をすると・・・。
そうなんだよね。火と水がであうと湯になるんだ。そしておいしいお茶が飲めるというものだ。
このディズニーシーの新しいイベント「ブラビッシーモ」をみて、「ああ、フレッシュウォーターを沸かすと、おいしいお茶が淹れられる湯がつくれるなあ」なんておもってしまう僕は、相当どうかしているのかもしれないね。
ああ、そろそろおいしい岩茶を飲みに行こうかな。

サンドイッチは、ジョン・モンターギュ・サンドイッチ伯爵がポーカーの合間の虫養いのために作ったといわれている。キューカンバーサンドイッチだったかどうかはしらないが、丁度アメリカの独立戦争の頃だというので、多分当時の風習として一緒に飲まれたのはコーヒーではなくて、紅茶だったのだろう。なぜなら、ボストン茶会事件ね。
で、たしかに三団重ねのアフタヌーンティーの時に紅茶と一緒に供されるさまざまな食べ物の中にもサンドイッチが含まれているし、紅茶の本などには、よくサンドイッチの作り方なんかが掲載されたりしている。
ここで、はたと思ったのだが、僕的に「サンドイッチと紅茶」という組み合わせは定番かと。そうなのだ、パンと紅茶よりもパンとコーヒーが個人的には好きだ。だから、サンドイッチともコーヒーを合わせたいと思う。
もちろん、週末の朝ご飯は、オレンジジュースとトーストとサラダと紅茶(ときにはチーズやゆで卵orスクランブルドエッグ)というのが、我が家の定番ではあるが、もし、コーヒーがあれば迷わずコーヒーになってしまう。
週末に過ごしたミラコスタのブレックファーストバイキングでも、「コーヒー、紅茶、どちらになさいますか?」と聞かれて無条件で「コーヒー」を頼んでいる。お茶好きといいながら、こうして食事にはコーヒーというのが習慣になってしまっているのは何でだろう。
ケーキといえば、これは絶対に紅茶になるのだけれど。サンドイッチは、やはりルーツはともかくとして、僕には食事という感覚なんだろうね。

時々無性に漬物と白飯を食べたくなる。こればかりは日本人であることが本当に嬉しく思える瞬間。アツアツのご飯とこりこりの漬物。漬物の種類は問わない。最近は京の漬物(こなすとか壬生菜などがいける)が好きだが、信州っ子の血を受け継ぐ僕は野沢菜も大好きだ。もちろん、高菜ごはんだって大好きだしねえ。
で、漬物を食わせてくれるお店といえば門前仲町の「近為」。京風漬物とぶぶ漬けで有名な店。ランチの時間には行列が出来るお店である。上の画像は、その店の行列風景。女性ばかりなので、並ぶのにはちと勇気が必要ではある。
漬物を食べながらご飯を食べる。大抵お茶が出てくる。こう言うときの茶は玉露とか高級煎茶というのは似合わない。絶対に番茶であるべきである。そうすれば、ご飯に漬物といえば茶漬けにしてしまうという手もある。
そういえば、コレド日本橋の地下に茶漬けやができたが、あそこのは茶ではなかった。出し汁の茶漬けもそれはそれでおいしいのだが、やはり濃い目にだした煎茶や番茶をさくっとご飯にかけてさらさらと食べるのが一番だ。

ところで、この漬物っていうのは、なんだか茶にも共通するところがあって、四国では碁石茶やら黒茶が発酵過程で漬物のような形式をとっている。ミャンマーにはラペソーがあるし、タイにはミエンがあって、これなんか本格的に漬物だ。雲南省にも酸茶という茶のつけものがあって、乳酸菌発酵をさせる。
食料を保存させ、さらに美味しくする生活の知恵が永い年月をかけて生み出した漬物。それを白飯と茶というコンビネーションで食べられる幸せ。絶対に後世にまで残さなければいけない文化だと思う。

時々、ほんのたまにだけど、一人でふらりと茶館に出かけたりする。都内のど真ん中にあるような茶館では、なぜか面が割れていることが多いので、とにかくのんびりと茶を飲みたいと思うときには、すこし都内から外れたところにある茶館に行くといい。
店の雰囲気は大事なのだが、さらに大事なのは、お茶のおいしさ。お金をはらって飲むに値するだけのものを用意してくれているかどうか。ここが一番のチェックポイントになる。あとは味と値段のバランスだろうか。
例えば、ドトール、いやいやスタバに比べたって一杯のお茶に相当高いお金をだすのだから、まずいと許せないよね。ただ、これは自分の中だけの尺度で判断するしかないので、自分が満足すればそれはそれでいいということになる。
もっとも、お茶は普通だけど、スイーツが絶品なんだよな!というようなところは、僕の場合OKだったりする。(笑)
それから、お茶に満足しても、雰囲気や音楽、そして回りの客層なども重要なポイントではある。わざとらしい音楽よりも、リラックスできるものがいいなあ。音楽だったら、そうだなあ。中国茶=中国音楽というのは、なんか短絡的過ぎて。個人的にはまったりしに来てるのだから、まったりと出来る音楽が、控えめにかかっているのが良いかもしれない。
お店の内装も、できればあまり「茶館らしすぎる」のではなく、さりげないものがいい。もちろん暖かな雰囲気があればさらに言うことは無い。
で、客層。ここで茶さるさんが糾弾しているような「声のでかいおやじの厚顔無恥な振るまい」というのは、絶対にゆるせない。これが、「厚顔無恥なおばさん」でも同じだ。
くんしゃんさんにはもうしわけないが、タバコをすぱすぱ吸っている奴が近くにいるのも許せない。おい、他人の吐いた煙なんか吸いたくないぞ!という感じだな。日本の禁煙は、あまりにも形式すぎるのだ。禁煙といったら、完全に禁煙だろ。モスバーガー茅場町店ぐらい潔く禁煙と喫煙を分ければいいのだ。
もちろん、最初から喫煙OKの店なら、これは自分が入ったのだから、その覚悟でいるしかないのだが、禁煙席といいつつぜんぜん禁煙になっていないのは、全くもってけしからん話しだ。
で、こういう自分にマッチしたお店が運良く見つかれば、あとは、茶やスイーツを前に、自分の好きなことをしながら時間を過ごすのだ。僕の場合は、大抵本をよむか(ああ、もちろん写真を撮るのが一番最初だが・・・(笑))、ノートにあれこれと断片を書き連ねたりする。この断片も、WEBのネタであったり、AAJのネタであったり、いろいろだ。
今日当たり茶館に行ったら、そうだな、金曜日のフリマ茶会に出展するもののラインナップでもメモするのだろうか。
いやはや、本当にこれはやらんといかん。こんやあたり、なにを出すか真剣に考えないと。家にあるけど使わないもの。茶漉しつきマグなんかを300円ぐらいの値付けでだすかな。
もちろん茶仲間といるときには、それぞれの状況に応じてということになるのだが、まあ、一人の時は、こんな具合に、茶館では時間を過ごすのがよい。

お茶の無い一日というのは、いままでほとんど考えられなかったのだが、今回の宮崎旅行で、実はお茶を持参するのをすっかり忘れていたのだ。
台風-飛行機-たいへんだあ!という状態だったのがその敗因。(笑)
で、本当なら、鉄観音とか鳳凰単叢なんかを持参するのだが、お茶が無いのなら、まあ、それでもいいかと居直って、今日は一日、Coffee Dayにした。
で、ここは宮崎 シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート。
一階にあるパシフィカでケーキとコーヒー。マンゴムースに深みのあるローストのコーヒーがなかなかのマッチング。
ここは、なぜかハワイアンが流れるカクテルバーなのだ。中央にある大きな水槽には、色とりどりの熱帯魚が泳ぐ。ハワイアンのアコスティックギターに身を任せながら、おいしい午後のコーヒーを楽しむ時間というのも、またおかし。
お茶の無い一日も、たまにはいいかもしれない。

で、とんじゃったんですよ。飛行機。夕べあんなに乗りたくない!飛ばないほうが良い!なんて書いておきながら、朝、空港にいったら、台風の影響を受けているのは、なんと四国の高知行きの便だけだったのだ。
しかもオンタイム。うーん、向こうについたら台風の中で、茶でも飲んでるのかなあと思いつつ、宮崎行きの飛行機に乗りこむために羽田のゲートをくぐったのだ。
しかも、バスでたどり着いたところに止まっていた機材は、ANAのジェットでは一番小さいエアバスA320。まるでニューヨーク-ワシントン間を飛んでいるシャトル便のよう。いやいやシャトル便よりも小さいかも。
4年前の丁度お盆にワシントンからニューヨークまで飛んだシャトル便を思い出してしまった。4時にワシントンを飛び立ち、NY上空を30分も旋回しつづけ、結局「雷雨のため降りられないのでワシントンナショナルエアポートに戻ります」といわれたあのフライト。小さな飛行機で、急旋回をしつづけたので、すっかり飛行機酔いをしてしまった上に、ワシントンに戻され、さらに、次ぎの飛行機に乗れといわれて乗り込んだ機材は、ワシントンから飛び立つことなく、空港の端っこで2時間待機。結局、別の飛行機に乗り換えて、さらに1時間。結局NYに降り立ったのは、23:00だった・・・。
そんないやな出来事を思い出しつつ、飛行機に乗りこんだのだが、いやあ、実に快適だったんだなあ、このフライト。台風の影響で若干航路を変更したといいつつも、台風の雲が吹き上げてる地域をフライトしていた。
「機長の○○です。ただ今当機は兵庫県上空を飛行中です。思いのほか台風の雲が上空まで吹き上げているので、これからしばらくその影響で飛行機は揺れることが予想されます。シートベルトはしっかりと締めるようお願いします。」
こんな放送があったにも関わらず、全然揺れなかったのだ。
そんな時間に飲んだのが、サントリーの烏龍茶。
うーん、台風の上で飲む烏龍茶は、揺れるとやだなというちょっとどきどきした気分の中で、すっかり乾いてしまった喉を潤してくれた。いやあ美味しかった。
無事定刻どおり到着した宮崎空港は、晴天だった。

台風10号が来ている。大きな台風だ。しかも、明日から行く九州方面へ向っているのが気に食わない。多分四国に上陸して、へたすると大分当りに引っかかる可能性が大だ。明日の夕方には暴風雨圏に突入する可能性が大。ならばいっそ、飛行機が飛ばないほうがいいか。
何を隠そう、これだけ飛行機乗ってるのに、飛行機は大嫌いだ。あんな巨大な鉄の固まりが空を飛ぶこと自体間違っているのだ。しかも、台風の上を飛ぶなんて、考えただけで身の毛がよだつ。
息子を懐柔して、明日はお台場当りを徘徊して、おいしいアジアンスイーツなんかを鱈腹食べるほうがよほどいい。がしかし、息子は「九州には行くんだよ、とうさん。じたばたしたって飛行機とぶよ。」だと。
たしかに、沖縄旅行が流れたのだから、宮崎旅行ぐらい行ってあげないととは思うのだ。
でもねえ。ジェットコースターと飛行機は、乗らないにこしたことはない。
これは多分、トラウマってやつ。
もう15年ほど前。デンバーからニューヨークに向う国内線で、ラガーディ空港に着陸する寸前、ハードランディングをするので頭を両膝の間に突っ込めといわれた。しかも、エンパイアステートビルがすぐ下に見えるところで、100mぐらいエアポケットで落ちるなんて体験をしてしまうと、ちょっとやそっとの揺れではびくともしなくなるか、逆に絶対飛行機なんか乗らない!となるかのどちらかだろう。僕の場合は、後者だったということ。
ああ、明日の飛行機のことを考えると、こんばんは眠れそうに無いなあ。悶々としながら、茶でも飲んで過ごすしかないかなあ。sigh・・・

こんな取っ手を見つけた。
入り口のドア、クローゼットのドア、そしてトイレのドアについているのは、なんと茶則だ。
しかもこの茶則、鉄でつくられているものの、ものすごく緻密に出来ている。大きさも、全く普通の茶則と同じ。それもそのはず、この取っ手にされている茶則は、普通に使われている中国茶用の茶則をそのまま型にして作られたもの。
こんな小技が使われている茶館は、大人の隠れ家「迎茶」だ。
「友達のデザイナーが茶則をみて、これ面白いじゃないといって作ってくれたのが、この取っ手なんです。」とオーナーの貞重さん。それをこんな風に茶館に使ってしまうのは、貞重さんのセンスでもある。
とてつもなく大きな茶壷をディスプレイするとか言うのと違って、こういうちょっとしたところにこういう遊び心があるのは、とてもうれしいことだ。
しかし、鉄でそのまんま茶則が作られているというのもいいなあ。これもしかして一本欲しかったりする。かといって、トイレの取っ手を持って帰ってくるわけにはいかないからなあ。(笑)

のんびりとした時間をすごしたいとき。
気心の知れた仲間とお茶の時間を過ごしたいとき。
おいしい料理に舌鼓を打ちながら、お茶も楽しむ贅沢なとき。
大人の宴とはなかなか良い言葉かもしれない。
こんな時間は、きっと子どものころには持つことのできなかった、大人だけの特権。
興味の方向が似ていると、こんなにも話が弾んで時間のたつのを忘れてしまうのかと驚くほど。
もうすぐ遠くへ戻ってしまう人もいれば、しばらく会えなくなる人も居て、
でも、すぐに顔を合わす人もいるし、人生の方向性って、おもしろいなあと。
それでも、お茶を介して知り合った人たちとこんな時間を過ごせるのは、うれしいことだ。

画像をうまい具合に写すのは、なんと難しいことだ。
隠れ家的中国茶Cafeである「迎茶」で、師匠恵さんの指導を仰ぎながらの一枚。
画像は、木柵鉄観音をダブルクーリングでアイスティーにしたもの。
縦位置で画像を撮ることはあまり無いのだが、これは縦位置で。
後ろの茶器を飾ってある棚を暈し気味にしつつ、アイスティーの冷たさを表現できたらいいかなとおもったのだが、どうだろう。
ホワイトバランスが青に傾いているのが良い具合ではあるが、個人的には、もう少しやわらかい光が好きもしれない。

それにしても、似た様な場所から撮影しても、どうしてこう、色合いとかアングルとか、そして画像の持つ表情というのがちがうのだろうなあ。やはり、これは才能の違いということだろうか。恵師匠のようには、なかなか撮れない。
のーとみさんは、「ひらたさんは、横位置で、ひらたさんらしさのでる写真がよいのですよ」となぐさめてくれるんだけどねえ。(笑)
まあ、しばらくは、いままでどおり「数打ちゃ当たる」方式でがしがしと画像を撮るしかないか。
(貞重さん、お騒がせして申し訳ありませんでした。)

毎日毎日、何でこんなに暑いのだあ?まあ、巷の学生は今週から夏休みだし、財務省ですらミンミン蝉がないているんだから、暑いのは当たり前なのだが、今年の暑さは、ちょっと異常だよね。
おかげで出歩くのが億劫で、オフィスにしがみついている。冷房がかかっている部屋で、思い切り扇風機を回して、「暑い暑い」といっているのって、やはり不自然だよね。
暑いときには思い切り体を動かして汗をかいて、体を動かせなければ、暑いお茶を飲んで、体の温度を大気温度よりも上げる。これが正しいやり方だ。
ずいぶん昔、中国の「涼茶」だといって出された「八宝茶」は、思い切り暑いお茶だった。新疆ウイグル地区では、砂漠の乾燥した熱風が押し寄せる。そんな中で冷たいものを飲んだら、即座にダウンするのだそうだ。だから、体を涼しくするためには、熱いお茶を飲むんだとか。
新疆といえば、トゥルファン。トルファンといえばシルクロード。高校時代、めちゃくちゃシルクロードにあこがれてたことがあった。いつか絶対に敦煌からシルクロードをさかのぼって、中央アジアの高原へいくんだ!なんて思ってた。まだ10代のころのこと。
あれから何十年たったのに、まだかの地へは降り立っていない。平山 郁夫の画集とかこんなサイトを時々のぞいては、いつか行くんだ!と実はまだひそかに思っている。

暑中お見舞い申し上げます。
毎日暑い日が続きますが、皆様におかれましては健やかにお過ごしでしょうか。
小生、このごろ少しばかりへばり気味でございます。
残業に次ぐ残業。
そんな毎日の中に、こんな葉書が届くと、ほっと一息。
皆様にもおすそ分けいたします。
ご存知のとおり、この作品は、恵さんのもの。
個々に写っている餅茶、香港は三思堂のものでございます。
三思堂のAndy氏にいただいたものでごあいます。
野生の雲南茶をそのまま固めた生茶の茶餅で、このまま30年は置いておけるよとといわれたものです。
30年も置いておいたら、そのころ、すっかり爺になっちまっているだろう僕としては、今のうちに飲んでしまおうとたくらんでいるお茶でもあります。
それにしても、こんな餅茶をこんな風にきれいに撮影できるのは、ひとえに才能ですな。
ともかく、暑い日には、涼しいことに思いをはせて、
この夏を乗り切ってくださいませ。
そのうち、おいしいお茶でもご一緒できるとうれしく存じます。
ひらたこういち
2004.7.13

紅茶には砂糖が合う場合がある。もちろん、大好きなダージリンなどには、絶対に砂糖は入れないが、アッサム系の紅茶なら砂糖を入れても良いかもしれない。もちろん、ミルクティーやチャイには僕も砂糖を入れる。
が、紅茶以外で砂糖を入れるとしたら、それはプーアールオーレぐらいなもので、それ以外は、考えてみると決して砂糖は用意しない。
ところでだ。台湾や上海では、緑茶や烏龍茶の缶に「加糖」とかかれたものがあったりする。
アメリカでも、緑茶に砂糖を入れて飲んでいるのを見かけたことがあった。
麦茶には砂糖を入れることがあっても、緑茶などに砂糖をいれるという感覚は今ひとつ理解できない。もちろん、抹茶を使ったパフェやかき氷など、甘みを必要とするものはあるかもしれない。が、しかし、飲む緑茶に砂糖が入っている状況は、今ひとつ考えるのが難しい。
お釈迦様にかける甘茶というのは、抹茶系の甘いお茶ではあるが、日常の世界の中でお茶に砂糖を入れるという風習はない。
一方、コーヒーは、多くの人が砂糖を入れる。エスプレッソなどはその典型かもしれない。
お茶と砂糖の関係って、とても不思議な気がする。
(画像は、Comme caのCafeで撮影したもの )

Niftyの中に「茶の文化フォーラム」というコミュニケーション集団があります。茶道の様々な流派に属する人たち、日本茶農家、日本茶インストラクター、紅茶店の店主、中国茶インストラクター。でも、最大の利用者は、「単なるお茶好き」。
そんなお茶好きの人たちを結ぶネットワークが、FTEAなのだ。
webが一般化する以前は、パソコン通信というのが主流で、その最大手がニフティーサーブ。今で言うところの掲示板群。それにチャット。あのころ料理フォーラムの喫茶と中国フォーラムのお茶の会議室があったから、お茶への興味というものがかなり広がったといえる。遊茶の代表、藤井まきさんとも、この中国フォーラムつながりだった。
たとえば、恵さんやChatNiorさん、そしてリンアン亭主の堀田さんともこのニフティーのフォーラムで知り合った。
FTAEは、FARTやFCOOK、FCOFFEEのなかからお茶好き集まってできたフォーラムだ。その意味では新参者のフォーラムで、会員数もそんなに多くはなかったが、Tea Worldなどのイベントを通じて、参加者とのコミュニケーションを図ることができた。
FTEA発足当時はそれでも、こんなにネットブームになるとはみんな思ってなかったし、1996年にWEBを立ち上げた僕でさえ、こんな状況にはなると思っていなかったが、インターネットの波に勝てずに、数年前からウエブフォーラムに衣替えした。でも、ネットの勢いにはかなわず、このところ書き込みは非常に少なくなってしまった。
スタッフも、それぞれ自分のことが忙しくてなかなかコミュニケーションができずにいた。でも、ようやくここに来て再始動の気配。(笑)
せっかく、お茶好きの視点でさまざまな活動をしてきたのだから、そしてそんなコミュニケーション集団はほかを探してもいないのだから、いろいろとやってみたいねということで、いまいろいろと話をしているところ。
もし、お茶関係の口コミ情報などがあったら、是非、FTEAに書き込んでほしい。お茶好きのみんなで、またいろんなコミュニケーションを再開したいと思っている。
(FTEA 中国茶担当スタッフ=ゆうてき)

以前入会していた「世界緑茶協会」。会費が高い割りに、あまりメリットがなかったので、今は、この会報だけ定期購読をしている。1冊700円。会費が一万円なので、定期購読だけで十分だ。
で、この緑茶通信に乗っていた広告
「世界お茶まつり2004」
11月3日から7日まで静岡のグランシップで開催される。
数年前に開催されたときにも取材してきた。お茶好きにはなかなか面白いイベントだと思う。もし、時間とお金に余裕があるのなら、新幹線に飛び乗って静岡に行くことをお勧めする。
本当は、平日に休みが取れれば、「国際O-CHA学術会議」にも参加できるとうれしいのだが、いまのこのばたばたさ加減では絶対に無理だろう。
僕は、11月6日~7日にAAJの取材をかねて出かけていこうと思っている。
向こうで遊んでくれる人、募集中です。(笑)

こんなものをもらった。
ベビースターといえば、ラーメンだろ。
で、これカップラーメン式になった「茶そば」。
おやつカンパニーの製品。
静岡の抹茶をつかった「静岡限定」品だ。
蓋をあけるとインスタントカップ麺そのもの。
やや緑がかったソバに、ねぎとなるとのフリーズドライがついている。
さらに「特製あげ玉-静岡の抹茶入り」というのが別に付いている。
味は、うーん、インスタントソバ。どんべいとあまりかわらん!
茶ソバという味はあまりかんじられないなあ。
うまくも無いしまずくもない。
面白いといえばおもしろいか。(笑)

素敵な郵便物が夕べ届いた。差出人はFormosa Tea Connection。そう、新茶のリスト(茶譜)だ。
この茶譜、手にするたびにいつもいつもどきどきワクワク。これはめちゃくちゃ素敵な茶譜なのだ。
薄い和紙にブルーがかった色の文字で印字されている。その書体も、サイトで使われているのとおなじ独特の優しい書体だ。
そして、何枚にも渡って丁寧にそれぞれのお茶の特徴などがかかれている。しかも、この複数の和紙は、ホチキッスなどという無粋なものは使われておらず、紐を使って丁寧に綴られている。

なによりもうれしいのが、今年のお茶の状況の詳細をまず始めに掲げて下さっている点。これを読むと、今年の台湾のお茶の状況がとてもよくわかる。その中で一軒一軒農家を回って仕入れをしてきたオーナーの瑠美さんのご苦労は大変なものなのだろう。
一枚一枚に愛情がこめられた茶譜を、わくわくしながらめくって行く。いつも顔見知りのお茶もあれば、新顔のお茶も顔を覗かせる。産地や採茶日、肥料や焙煎の度合いまで丁寧にかかれたお茶たちの名前を見ていると、もう作品と読んでしまいたくなるような気品さえここには漂っている。
今回はどれをオーダーしようかな。わくわくドキドキしながらお茶を選んでいくのも、楽しい時間である。出来れば時間を取って、サロンへ行きたいものだ。

この金魚のデザインがとても気に入った。
このデザインで蓋碗があったら、速攻で買いに行ってしまうかもしれない。
こちらはTシャツのデザイン。
お茶仲間、恵さんの背中。
かっこよく撮影できなかったので、デザインだけ。
ごめんなさい。こんどは、格好よく!

今年になって、朝ごはんはスタバが多い。
朝スタバの定番は、ぼくの場合コーヒーではなくて、タゾチャイティーラテのホット。
これにいくつか種類のあるマフィンなどをあわせることが多い。
まだ人がそれほど多くない店内で、ぼんやりとこれを飲みながら本を開いていると、ちょっと幸せかも。

中国国際茶文化研究会から一通の封書が届いた。杭州市龍井路の中国茶葉博物館に入っている中国茶文化研究会には、昨年から会員にならせてもらっている。その関係からかなとおもっていたら、張 茉頴(Zhang Li Ying)さんからだった。
張さんは数年前、RIKOの主催で開催されたパーティーでおあいした素敵なおねえさん。日本語もお上手で、茶芸師の育成もやっている中国茶エキスパート。すばらしい人だ。
その彼女からとどいた封書の中にはいっているのは、「邀請函」、つまりInvitation Cardだった。
今年9月19日から25日まで四川省雅安市蒙頂山で開催される第八回国際茶文化検討会へおいでなさいという内容の手紙が入っていた。

国際茶文化検討会では、To develop Oriental tea cultureと題する検討会から、品評会の授賞式、茶芸のデモンストレーションなどさまざまなイベントが予定されている。また茶馬古道歴史文化回顧展というものも開催される。
交易會も開催され、中国全体から様々な茶商があつまって、お茶の販売が行われるらしい。
しかも、この開催時期は、日本ではちょうど連休なのだ。うーん行きたい。だれか僕の代わりに行って来ませんか?(笑)

そろそろ龍井を飲みきろうと思って、我が家の茶蔵をあさってみたら、今年は手元に届いた龍井が結構な和だったようで、まだまだ飲みきれません。碧螺春はすでに完売(笑)状態なのですが、産地別の龍井が一揃い。このこたちを早く美味しいうちに飲んであげないといけないなあと考えていた時に思い出したのが、先日の横濱茶館での闘茶。
横濱茶館でどんなことをしたのかは、こちらをご覧頂くとして、龍井の産地あての闘茶なんて結構おもしろいだろうとおもうのだが。
でも、これはあくまでもゲーム。当てられたからすごいとかそういうことではなくて、違いがあるということが多少也とも認識できればおもしろいのではないかと。もちろん同じ産地のお茶だって、摘んだ時期や製茶した人によって全く違うお茶になるのだから、産地別のお茶当てといったって、そう対した意味があるわけではない。
でも、先日静岡、宇治、嬉野の3種類を品茶して、特徴が全く違うということがわかった。以前テレビチャンチャンピョンで、2位になった山上さんや3位になった木下嬢などが最終決戦でお茶当てをしていたが、あそこまで分かるようになるのは、たいそう訓練が必要だろう。僕のように漫然とああおいしいなというだけで飲んでいると、龍井だ!碧螺春だぐらいはわかるものの、これが獅峰、これが梅家塢、そしてこれが翁家山だなんて区別がつかない。でも、飲み比べてみると、微妙にその味わいが違うことだけは感じることができるのだ。
闘茶のやり方はいろいろある。日本での伝統的な闘茶は、「茶歌舞伎」とも呼ばれるもの。栄西から明恵上人に贈られた茶が、京都栂尾の高山寺に植えられたものが正式な茶だという意味で栂尾産を「本茶」としたのだが、それ以外の茶を「非茶」といい、本茶を当てるというところからスターとしたようだ。
一番ポピュラーな茶歌舞伎は、5種類の茶を花・鳥・風・月・客にわけて当てるもの。でも5種類を飲み比べするのは結構大変な作業。5種類を5煎するので、合計で25のお茶を飲むことになる。
もう少し簡易にしたものが3種類のお茶を使うもの。
まず3種類のお茶を用意して松、竹、梅と名付ける。松・竹を2回分、梅を1回分、小袋に区分けして、用意する。松と竹を事前に闘茶の参加者に試飲指せ、梅はブラインドにしておく。
試飲がおわったあと、この小袋をわからないように混ぜてしまい、3種のお茶を順順に淹れる。一回飲むごとに、そのお茶が松竹梅のどれであったかを参加者は考えて、自分の思った松竹梅の札をとって札箱に入れていく。3種全部のんだところで、答え合わせをして点数を決める。5回繰り返し、合計点を競うのだ。
今月のTCCの月例品茶会は、ちょっとお遊びで、こんな闘茶を龍井と台湾茶をつかってやってみようと思う。

中国において喫茶が始まる段階のお茶として注目されたのが、擂茶、打油茶、そして油茶だ。これらの「茶」は飲む茶ではなく、食べるお茶だった。
湖南省桃源県は武陵山の山麓に位置する風光明媚なが発祥といわれる擂茶は、南宋時代の袁文の「甕版間評(おうようかんぴょう)」で「蘇東[土 皮]の詩にも出てくる」と書かれているもの。南宋までで既に1000年以上の歴史があると言われており、紀元前からあることが知られている歴史の長い食文化なのだ。「擂鉢(らいはつ)」と呼ぶ擂り鉢と、「擂捶(らいすい)」と呼ぶすりこぎを使って作る茶なので、擂茶と呼ばれている。
最近台湾や大陸でも注目され、擂茶を出す喫茶のようなお店までできていて、僕も台湾で体験したことがある。豊富に用意された「ヤーツオ」と呼ばれる御茶請け(瓜子、緑豆、ピーナッツ、サツマイモの切り干し、あられ等)を一緒に摩り下ろしたり、そのまま入れたりして「食べる」お茶だ。
打油茶は、擂茶といわゆる「清茶」(茶葉以外に何も入れない茶)の中間に位置する茶として注目すべきものとされ、元愛知大の松下先生にも注目された。擂る代わりに茶葉を打ってエキスをだす。山間部をテリトリーに各地へ散らばった瑤族から伝播されたお茶といわれ、擂茶の特徴を残しながら、簡素化が行われているのだそうだ。
「カメリアシネンシス=茶」とは異なるCamellia Oleifera, Camellia Meocarpa=油茶」と呼ばれる植物の実から抽出された油を使って作られる打油茶は、擂茶同様、食料と飲料のちょうど中間的な存在となっている。
さらに、広西壮(チワン)族自治区北部や湖南省では、この打油茶の簡略化した油茶と呼ばれるものが残っている(中村先生の体験記が参考になる。)。
打油茶と同様に瑤族から伝播されたお茶であると言われ、打油茶との違いは、中身が少ないことと茶葉を打たないでそのままいれていること。なお、茶葉を湯で煮て塩を入れただけの油茶を「淡油茶」といい、このような簡略化が進んで、そのうち飲むお茶が生まれたのだという推測もされている
薀蓄はこのくらいにして、ここにあるのが、くんしゃんさんとのレア物茶競争の極めつけ、「インスタント油茶」である。

インスタントラーメンのような容器にはいっているこの油茶は、湖南省藍山県新[土于]鎮にある梵龍食品というところが作っている。

蓋を開けると、揚げた米、かきあげ、ピーナッツ、大豆、とうもろこしなどが入っていて、スープになる粉末(ここに砕いた茶葉がはいっていた)と茶油などが別の袋に入っている。
内容物をならべてみるとこんな感じ。かきあげなど、日本でも売っている「せんべい」のようだ。全体的にフライにしてあるので、油のにおいが鼻につく感じがする。

ここに湯を容器の線まで入れて、別の袋に入っている粉末スープと油を入れてかき混ぜれば、3分待たずにすぐに食べられるという仕掛け。解りにくいかもしれないが、スープに浮かんでいる黒いごみのようなものが茶葉なのだ。
味わいはすっきりとした、軽食。茶の味わいはかすかだがする。油っぽいので、ちょっとたべるともういいやという感じ。おいしいのかまずいのか、よくわからないというのが正直な感想。もうすこし、塩味がきっているほうがおいしい木がする。
でも、こういう食べるお茶の文化が、21世紀まで綿々と行き続けて、それが文明の力でいんすたんと食品にまでなっているというのは、ちょっと感動的だ。

最近、韓国料理のお店に行くと、韓国伝統茶を飲めることが多い。この韓国伝統茶とは、いわゆるカメリア・シネンシスの茶葉を利用したものではなく、柚子とかしょうが、梅、麦芽、棗、菊花、シナモン、松の実などをつかった健康茶のようなもの。そのバリエーションは結構いろいろとあって、とても楽しい。
ユジャチャといわれる柚子茶なんか、結構おいしくて、日本でも人気があるみたい。3月のFOODEXでもこの柚子茶の元を熱心に販売しようとする韓国の企業ブースがあったっけ。
韓国で伝統茶がこれだけ流行った訳がある。実は韓国にもカメリアシネンシスの茶葉はあって、最近ようやく復興の兆しが見えてきている。
ところが、この茶は、李朝時代に仏教と繋がっていたために、智異山の華厳寺を中心とした泉隱寺、燕谷寺などの寺院でわずかに継承されただけで、一般民衆からは忘れ去られてしまったのだ。それだけ儒教政策が厳しく行われた時代があって、廃仏の荒氏が吹き荒れた訳だ。
一般の民衆は始めは白湯などを飲んでいたといわれるが、その後、コーン茶や身の回りにあるものを利用して茶の代替にしてきた。それがいまの伝統茶のルーツというわけ。
韓国にカメリアシネンシスの茶が伝来したのは唐の時代だと言われ、当然に日本よりも早かっただろうと推測されている。
もう少し詳しく書くと、新羅の興德王 3年(828年)に唐に使臣として行った金大廉という人持ちかえった茶の種が、王の命令によって、智異山一帯に植えられたといわれている。いまでも始めて茶の木が植えられた華厳寺の長竹田には、緑茶始培地というのが残っている。
にもかかわらず、日本ではこれだけ茶が定着し、一方の韓国では衰退してしまったというコントラストが、非常に面白い。
伝統茶の話が、茶葉を使った正統茶の話になってしまったが、こんな面白いものがいろいろあるので、今後は、ちょっと韓国の茶事情に目を向けてみるのも面白いかもしれない。
なお、韓国のお茶は釜炒り緑茶がメインで、なんども飲んだことがあるが、それなりにおいしいお茶ではある。

この方は僕の直接の師匠ではない。でも、この方がいなければ、僕が中国茶に興味を持つことは多分なかっただろう。その意味でもこの方には頭が上がらない。
長沙灣の本店でたまたま再会した陳老師。相変わらず元気そうに独特のやり方でお茶を入れてくれた。流れるような所作が美しい彼の茶藝は、台湾の陸羽のものとも違って、男性的だ。特に香港式に茶杯をサーブするところなど、かっこいいの一言である。こんな所作を身に付けたくて、彼の店に通ってしまうのも良いかもしれない。
日本人観光客御用達だの、高い割りにはおいしいお茶が少ないだのと、最近あまりぱあっとした話が聞こえてこなかった茶藝樂園。それでもここのお茶は僕にとってのお茶の原点だから、こうやって帰ってくると妙に懐かしい。
そんな僕に、老師は3つのお茶を入れてくれた。一つは金萓。これは残念ながら僕が金萓を好きではないというだけの理由で、僕には評価されなかった。ちょっと可愛そうかも知れない。
次ぎは、凍頂茶王。
香港で飲む台湾のお茶は、どことなく、やはり香港の味わいがするのだが、とくに老師が指導して香港で火入れさせたという凍頂烏龍の茶王は、完全に香港の味に変身していた。50gで1000HK$という値段は、多分僕も手が出ない。でもそれだけに、ややストロングなそれでいて甘やかな独特の余韻が後まで残る、おいしいお茶であった。
そして最後に秋韻王。このお茶は、懐かしい記憶がある。乳香花というお茶でスタートした僕の中国茶遍歴は、常に安渓鉄観音が真中にあったのだが、この秋韻王が実は乳香花よりも原点に近いのだ。僕が秋茶が好きだといってはばからないのは、このお茶が原点にあるからだといえる。いわゆる僕にとってのスタンダード的なお茶といって良いかもしれない。もちろん毎年味や香りも違う農産物だから絶対的なスタンダードでは有得ないのだが、そこはいわゆる感覚的なもの。ネーミングもいいよね。(笑)
これは多くは語らなくてもよい、とても穏やかで平和な気分になれるお茶だった。もちろん、最近もっともっと良いお茶を沢山飲んできたので、レベル的にはすごい!とは思わないけれど、これこそ、ほっとできる、とても大切なお茶ということだろう。
老師と再会して、そしてまた秋韻王とも再会できて、本当に嬉しい時間だった。

朝起きて飲茶なんておなかに重くてできないやねえ、と思ってた。でも、やはり香港の朝、陸羽でまったりとすごさないと、これはもう罰が当たってしまうに違いないと自分を奮い立たせ、朝まだはやい時間に陸羽の扉をくぐった。
店内には、地元のおじさんと思われる人がまばらに座っている。みんな新聞片手に、おばさんが運ぶ点心を数種類つまみながら、茶をすする。
もちろん、ここのお茶は何も言わないとポーレーが出てくる。給仕のおじさんが厚手のコップをお茶であらい、そして茶注いでくれる。頼めば蓋碗でお茶を楽しめるようだ。
まだ眠気の覚めない頭に、おばさんの「蝦餃!」という言葉が反響する。
香港はどこへ行ってもがやがやとうるさい。それが香港らしさなのかもしれないが、陸羽の朝は妙に静かだった。みな思い思いのスタイルで、思い思いのことを考えながら朝食の時間をすごしているからだろうか。
多分、もう少し時間が過ぎると、だんだん店内にも活気が満ち溢れ、まったく違う様相を呈すのだろう。が、しかし、そんな時間よりもちょっとだけ早い、静かな時間。
なんだか朝からとてつもない贅沢をしてしまったような、そんな錯覚に陥る時が、ここには流れていた。それが今回僕が体験した陸羽茶室の朝だった。

出張で香港へ行く。
香港といえば、僕がお茶にはまった場所。とても久しぶりの香港で、すっかり出張ということを忘れてしまいそうだ。(笑)
一応、数件の茶荘は除いてみようと思っている。あわせて、時間を作って香港大学の美術館と茶文物館は覗いてこようと思う。
ついでにアジアンデザートが楽しみだ。マンゴープリン、豆腐花、ツバメの巣のデザートなど。
事前の準備は、うしこさんなどからいろいろと教わった。オクトパスカードも借りて準備万端。
会議に拘束されるので、どれだけ回れるか分らないが、地下鉄で出かけられる範囲で、あちこち回ろうと。
楽茶軒の葉さんと連絡をとったが、残念ながら、僕が香港にいる間、彼は韓国へいくそうで会うことができない。でも、Yukiさんが会ってくれるという。
また、茗香茶荘の若旦那の陳さんも、香港にいないというので、広東語しかできないお父さんとおじさんが対応してくれるというので、筆談にトライだ。のーとみさんから冠軍茶王のリクエストがあるので、ここは行かなければならない。
ということで、しばらく書き込みができないかもしれないが、いざ!香港へ!

個人的には「金の烏龍茶 黄金桂101」の次くらいには好きだ。と、のーとみさんが書いている「二度うま烏龍」は、残念ながら飲んだことがない。僕が一番好きなのは、やはりなんといっても「金の烏龍茶」だったりする。
過去、AAJのガイド記事でいろいろと缶入りの中国茶についてレポートしてきたけれど、一番茶葉を抽出したときの味に近いのが金の烏龍茶。
安渓鉄観音と黄金桂。缶入りのは色種なんて入ってたりしたが、やはり安渓鉄観音と黄金桂だけのがいい。以前、これの茶葉が販売されていた。ティピオのティーバッグがこれに近い味をしていた。同じ伊藤園のものだからだろうか。
聞茶とか熟茶とか、烏龍聞茶とかのレポートを書いたので、じっくりとこれらのお茶を味わったのだけど、でも、やっぱり、金の烏龍茶だなあ。(笑)

昨日は、とても懐かしい人に再会した話。でも、今日はちっとも覚えてくれない人の話し。
臺灣區製茶工業同業公會の理事長の徐さん。偉い方なのだ。この方が、僕のことをちっとも覚えてくれない人。
実は、数年前に台湾へ行った時に、しゃおしゃんの前田さんと一緒に桃園の茶業改良場へ行った。夜遅くなったので、どうしようかと思ってたら、「台北まで帰るから、車に乗せていってあげるよ」といって、数名で台北まで送ってくれたのがこの人だった。
車中、台湾語、英語、日本語が飛び交う、とても奇妙な道中だったが、僕は彼が運転する車の助手席で彼からいろいろと英語でレクチャーを受けたのだった。「ミスターひらた、台湾のお茶を勉強したかったら、台湾語を勉強しなくちゃいけない」と僕を諭したのも彼だった。車から降りる時に「出会った記念に」と、彼の工場で作られたという四季春を半斤も頂いてしまった。
ところが、翌年彼とばったり静岡で出会った時に、彼はすっかり僕のことを忘れていた。ちょっと残念だったけど、これで僕のことを覚えていてくれるだろう、そう思って、名刺交換をした。
さて、翌年(昨年のこと)、同じようにフーデックスで彼と再開して、親しげに話しかけたら、彼はまた僕のことを忘れていた。うーん、ちょっとショックかな。彼の日本語は、徐々にうまくなっているのだから、僕のことも覚えておいてよと思った。
そして、今年こそ!とおもったら、案の定、誰だっけ?という顔をされた。うーん、やはり茶の取引をしない限り、年に一回会うか会わないかの僕のことなんて、覚えていてくれないのね・・・。(笑)
絶対に来年こそ!

今日、とても懐かしい人に会った。5年ぶりだろうか。本当に懐かしくて涙がでそうになった。その人こそ、僕にチャーモンオータムナルのおいしさを教えてくれた人。
そのときのその人のやさしいお茶の淹れ方に、すっかりダージリンのおいしさを見直してしまったのだった。実は、ひそかにあこがれていたんだよね。その人のこと。あははは。
で、その人に今年のファーストを進められて、一つ返事で買ってしまった。だって、おいしい香りしてたんだ。でも、その人はショップにいないそうので、なかなかお会いできない。ちょっと残念。
今年の中国茶はちょっと遅くなるらしいが、インドの紅茶はこれから旬のようだ。
P.S.
今日は短くかけたかな(爆)。

もう何年も前の話になるが、懇意にしてもらっている京都の紅茶専門店ラ・メランジェの松宮さんの案内で、京都宇治、黄蘗山万福寺の門前にある普茶料理のお店に普茶料理を食べにいった。
そもそもこの普茶料理というのは、福建州の僧「隠元」が興福寺に入山され際に伝えたものといわれる精進料理だ。精進料理だから当然の事ながら、生物の材料はいっさい用いていない。豆腐やごま、油を多く使って、様々な野菜を上手に調理してある。特に、材料の自然の味、色、形を美しく生かしてあるのが特徴で、肉、鳥、魚の擬製品が並ぶのもとても楽しい。
比較的淡白な味わいの料理が多いので、お子様にはむかない。大人の料理という感じである。
そもそも「普茶」とは、「あまねく茶をほどこす」という意味があるのだそうで、料理を挟んで、お互いに親睦を図る、そして日々の労を労うという意味を含んでいるのだとか。
大きな皿で料理がだされるのも、お互いにその皿から料理をとりあって、会話を弾ませるというのにも、その「普茶」の思想がながれているのだろう。
隠元は、日本に煎茶道を広げた人としても知られている。万福寺にも彼が所蔵した大ぶりの茶壷が所蔵されている。隠元と茶の関係は、かほりさんのHPに詳しいが、そんな隠元の伝えたお茶は、釜炒り緑茶だったのだろう。個人的な好みから言うと、これが烏龍茶だったら楽しいのになあとおもう。
この普茶料理の献立は、通常、二汁六菜で大菜、小菜に区分し、付け揚げ、雲片、浸菜を大菜、箏羮、麻腐、唐揚げ汁、みそ煮を小菜としている。京の野菜がふんだんにつかわれているのも、このみであった。それよりも、出されたお茶が烏龍茶だったので、ほらね!などと子供のように嬉しかった。(笑)
白雲庵
住所:京都府宇治市五ヶ庄西浦30番地
電話:0774-32-0700

日本の茶畑には、あちこちにこんな電柱の上に大きなファンがついているのが立っているのを見たことがあるだろう。お茶に興味がなかった頃は、なんでこんなのがあるんだろうと思ってたのだが、いやいや、お茶の北限に近い日本では、このファン、かなり活躍しているらしい。
なんの為かというと、いわゆる茶の新芽が遅霜の被害にやられないようにするため。日本では、茶園面積5万ヘクタールのうち3万ヘクタールが霜害をこうむるという。だからこれからの時期に活躍をはじめるのだ。 茶の新芽は、約-2℃で細胞が凍結し、それによって破壊・枯死する。霜は確実に茶の芽を蝕むことになるのだ。
でも、どうしてこんなファンが回るだけで、霜の被害を防げるのだろう?
茶園では、茶樹の根に近い地面近辺に通常空気の冷たい層があるのだとか。その上は、なぜかやや暖かな空気の層があるらしい。ファンは、この暖かい空気の層にあわせて作られており、このやや暖かい空気の層をプロペラでかきまぜてやることで、冷たい空気の層に暖かな空気を送りこめるのだという。
このファンの名前はそのまんま、「防霜ファン」。昭和和46年に三重県農業技術センター茶業センターの横山俊祐氏らによって開発された。当時はこんなに沢山のファンが立つとは思わなかっただろう。
もちろん、いまだって、この送風式だけが防霜対策ではないらしい。茶園をおおってしまう「棚がけ」、スプリンクラーによる「散水氷結法」(これはすごい発想で、凍霜害を受けるようなときに散水すると、茶株に付着した水は氷結するのだが、水が氷結するときに80cal/gの潜熱を放出するので、茶の芽は0℃前後に保温され、被害を回避することができるのだとか。)などなど。
ところで、このプロペラが回るのは、実は夜なのだ。つまりあまり人目にはつかない。下の下りる夜半から左右に首を振りながら一生懸命に働くことになる。けなげな姿ではないか。
どうでもいいことなんだけど、人目にも触れずにあちこちで首を振っているプロペラは、沢山立っているとはいえ、なんだか孤独なんじゃないかなと思ったりする。

中国茶の農薬の問題、結構気になる人がいるようだ。農薬すべてが悪いわけではないのだが、農薬に害があるのは、基準以上の残留農薬が茶葉に残ってしまっていること。つまり農薬の使いすぎが問題なのだ。
そのような流れの中で、近年オーガニックがブームになっている。お茶のその例にもれず、オーガニックティーなるものが出回り始めている。しかし、このオーガニックっていうのが非常にくせもの。オーガニックの定義がどんなものだか、知っているだろうか?
実は、「オーガニックは無農薬であり、健康・環境によい」という解釈は、かなり乱暴なのだ。
米国の非営利の調査機関であるハドソン協会(Hudson Institute)の世界食料問題センター(Center for Global Food Issues)は、「自然の毒物-無農薬農業というオーガニックの神話(Nature's Toxic Tool: The Organic Myth of Pesticide-Free Farming)」という報告書の中で、オーガニック農業について、「農薬の使用を増加させるものであり、健康・環境に対する危険性は従来の農業よりも大きい」と警告している。なぜなら、オーガニックとは、通常、以下のとおり規定されているからだ。
1.生産圃場では、過去3年以上にわたり化学合成の農薬、肥料、土壌改良剤などを使用せず、有機的な手法で栽培していること。種苗には化学的な処理を受けていないものを使用し、遺伝子操作されたものは禁止する。
2.食品製造加工では、認証の原材料を使用すること。化学合成添加物・加工助剤などを使用せず、伝統的、自然な方法で製造加工されていること。
3.流通・保管では、一般の生産物と明確に区別され、殺虫剤などの化学物質の汚染から守られていて、そのことが確認できること。
特に、1.を注意深く読む必要がある。「化学合成の農薬、肥料、土壌改良剤などを使用せず」とそこには書かれている。なぜ、これが重要化というと、実は、化学合成していない自然農薬というものが存在し、その影響も無視し得ないほど体内に大きな影響を及ぼすからなのだ。
殺虫剤の58%に使用されている油・硫黄ともオーガニック農業で使用が認められているものであり、これら2つで農薬の使用量全体の23%を占めていると言われている。しかも、オーガニック農業で認められている農薬が必ずしも毒性が低いわけではないのだからこわい。たとえば、インドセンダン(neem)は哺乳類に対し毒性があることが実際に証明されている。
日本にも、オーガニックに関する認定基準や、認定団体が様々な作られているが、こういう点まできちんと審査されているのかは実は表面的には良く分からないし、そもそも開示すら行われていない。
したがって、オーガニックだから安全というのは、中国茶は危険な農薬が使われているというのと同じくらいかなり乱暴ないいかたである事がわかるだろう。
毎日口にするものだからこそ、茶の農薬のことは気になるが、そのために、オーガニックに走りすぎるのも問題だという事が良くお変わりいただけると思う。
消費者である我々が十分こういう知識を身に付けて、安心なお茶を選ぶ賢さを身につけたいものだ。
(遊笛山房 余香回味より加筆修正)

中国茶は農産物。農産物には害虫がつき物。出来る限り商品として綺麗な物を出荷したいと思う茶農家は、どうしても農薬を使うことになる。
しかし、農薬は、その許容度を越えると、害虫だけではなく、人間にも害を及ぼすことになってしまう。特に中国茶の農薬問題を考える場合、中国での農薬使用の基準と海外のそれとは大きな隔たりがあり、昨年も欧州への輸出が大幅に減少するなどの問題があった。今でも、農林水産省のウエブサイトには、この問題についての記事が掲載されている。
さらに、一時期の中国の新聞でも、国内の茶葉に農薬が含まれているという記事がいくつも見うけらたものだった。
例えばこんな記事がそれだ。→「京城市場六成有有機茶含有農薬」
最近でこそ、大分話題的には減少してきたがいまだに中国政府の検査で引っかかるものも多いと聞く。
しかし、気を付けなければいけない。問題は、農薬そのものを使用することではなく、過度な農薬の使用による、規定以上の残留農薬が茶葉に含有されていることなのだ。もちろん、使っては行けない毒物を農薬として使用することは言語道断。ところが、農薬基準が曖昧で、使用できる農薬の範囲が広かったりすると、こういうことが時々おこってしまうから怖い。
では、この基準がどうなっているのかということはなかなか一般の消費者には分からない。
ちなみに日本の基準を調べてみると、食品衛生法という法律に行き当たる。
現在、日本では食品衛生法において定められる食品の規格の中で、食品に残留する農薬の基準が「残留農薬基準」と呼ばれている。残留農薬基準は、農産物に残留する農薬量の限度として定められているから、これを超えるような農薬が残留している農産物は販売禁止等の措置が取られることになるわけだ。
この残留農薬基準の対象となる食品は、国民が口にする食品の全てを対象としており、国産農産物、輸入農産物のいずれもが食品衛生法に基づく規制を受けることとなる。したがって、中国茶もその対象にはなっている。輸入されるお茶は、検疫所による港や空港に入ってきた段階での輸入品のモニタリング検査が行われ、基準に抵触する物は廃棄処分にされているのが通常だが、サンプリングの仕方にも若干不安がないでもない。
平成9年に東京都が行ったサンプリング調査では、残留農薬(殺虫剤)の検出された烏龍茶があるが、幸い残留農薬基準はクリアしていたようだ。
そもそも残留農薬の検査に関しては、2つの考え方があると思う。検査自体も、茶葉の抽出物の検査と茶葉自体を検査する方法によって、残留農薬の濃度は異なってくる。この当たりの基準がいまひとつ不明確だ。特に中国の緑茶の芽茶(龍井や碧螺春)などは料理にも使われますので、茶葉自体に含有される高濃度の残留農薬が気になる。
日本では、平成12年に「有機JAS表示制度」が導入され、有機肥料、無農薬の食品に有機JASマークが付されることになっているが、中国ではまだこのような制度はない。年々、浙江省を中心にオーガニック茶が研究され、栽培されるようになって来てはいるが、日本に輸入され消費者の手に届くときに、それがオーガニック茶であるかどうかはほとんど分からないというのが実情だろう。
もちろん、無農薬だけが良いとはいわない。農薬の中には、比較的害の少ないものもある。しかし、例えば産地の農家の顔が見えるお茶のような、もう少し、消費者にも判断できるような仕組みを作って欲しいものだと思う。いわゆるトレサビリティーの徹底ということになるのだろう。
もちろん、中国茶の全てが農薬で汚染されているなんていう誇大妄想的なことは考えていないし(台湾茶は比較的農薬管理がしっかりしているようだ。)中には素性のわかるお茶もあることはあるが、日々、おいしいお茶を鱈腹飲んでいるぼくとしては、こういう中国の新聞記事を読んでしまうと、消費者側にも自衛する能力が必要なのだなあと思ってしまうし、事実、安心できる業者を探さねばならない。
実際中国でもWHO加入にともない、無公害食品プロジェクトや農薬の管理強化、トレイサビリティーの確立等を進め、農産物の品質と安全性管理の強化に取り組んでいるらしい。しかし、そう言うものが日本にいる消費者の実感としては分かりにくいなあとおもうのだ。
しかも、中国の場合、まだまだ農民政策が立ち遅れており、国が懸命に無公害プロジェクトを進めても、農民サイドがそれに対応できていない場合も多いのではないか。
だから、まずは、日本の輸入業者の方々に、残留農薬の検査は是非とも行ってもらいたいと思うわけである。これから先、中国茶が日本の家庭において、常茶となるためには、このような問題からクリアして行かないと、これ以上の中国茶の浸透は見込めないかもしれない。
参考サイト:QING XIANGラボラトリー
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布目先生といえば、世界有数の中国茶書の研究家。ちょこっと中国茶に嵌った人ならば、おそらく先生の著書を目に通された方も多いはず。その例に漏れず、僕も一時期先生の本を毎日読み漁っていた時期があった。
今では岩波から「現代文庫」の一つとして再版されている「中国喫茶文化史」(当時は「同時代ライブラリー」所蔵)などは、ぼろぼろになるまで読み返したものだった。
そんな先生に大阪でお会いしたのは、先生がご逝去される前々の年。20年近くも毎週土曜日に大阪で陸羽の茶経などを読みつづけているという「読茶会」に参加させていただいた。
1時間かけて陸羽の茶経をどのぐらい読むのかとおもったら、なんとたったの1行。しかし、その1行には、さまざまな情報が含まれており、さまざまな同時代や時代が下った文献から、陸羽の時代の歴史的背景を紐解き、あるいは一つの言葉の持つ意味を丁寧に読解されていくその御姿は、久しぶりに大学のゼミにいるような知的好奇心を古い立たせてくれたものだった。
と、同時に、陸羽の茶経というたった7000字の漢字の情報に、これだけ多くの事柄が詰めこまれていて、それらを一つ一つこんがらがった糸を解いていくように読解しないと、その本質は分からないということに、感動と僕など生涯陸羽の茶経を読解できないのだろうなあというわずかな諦めを覚えたのを記憶している。
中国茶文化初学者のこんな僕にまで、非常に分かりやすく丁寧に説明してくださった先生の御姿を、今でもはっきりと思い出すことができる。
幸い、先生は僕たちにその成果である「茶経詳解」(淡交社)という著書を残してくれた。それによって、苦労せずとも、あの読茶会で先生が丁寧に説明してくださった事ことのエッセンスに触れることが出きる。
平野久美子さんによると、布目先生と共著であった「中国茶と茶館の旅」(新潮社)の改訂版が今年発行されるとのこと。この本で布目先生のお名前を知り、どんどん中国茶文化の深みに嵌った者として、先生のご本が長く読み注がれることを切に希望する。
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