移転します
【お知らせ】
ええっと、残念ながらココログのディスク容量を目一杯つかってしまったので、これ以上画像をUPできなくなってしまいました。ついては、この週末で新しいサイトに乗りかえる予定でいます。いままでココログでTeaRecipeをご覧頂いていた皆さん、ありがとうございました。
新しい移転先が決まりました。リンクをしてくださっている方、大変恐縮ですが、リンクの変更をお願いします。
新しいサイトはこちらです。
引き続き、Tea Recipeをよろしく御願いします。
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信州から戻って、初詣。神社の清い水を見ていたら、元旦の若水でお茶を飲んでいないことに気が付いた。
若水とは、元旦に汲む水のこと。昔は、年男が川や涌き水を汲みに行ったらしい。熊の湯の甘みのあるおいしい水で入れた茶はおいしかったが、元日の早朝に汲んだ水ではなかったなあ、あの水。
志賀高原では、大禹嶺金萓茶を淹れて飲んだのだが、金萓茶がなかなか飲めた。金萓茶苦手なんだけどなあ。
水と茶の関係って、おもしろい。
硬水軟水というのもあるけど、それよりも、いろんな日本の水でお茶を飲んでみたいものだ。
そのときの標準茶は、なんだろう。
やはり原点の安渓鉄観音だろうか。それとも、梨山か・・・。

去年から、パン好きになった。おいしいパンは、幸せになれる。今年も年初からおいしいパンに出会って、幸せな気分。
志賀高原の端っこにそびえる横手山。ぐるりとあたり一面が見渡せる山頂に、ポツリとたつヒュッテで焼かれたパン。ふかふかであったかくて、そしておいしい。

こんなおいしいパンがあるときは、紅茶を飲みたい。おいしい紅茶も幸せを運んでくれる。多分、ダージリン。それもオータムナルがいい。
ふかふか、ぽかぽか、やわらかくておいしいパン。
そして香りたかく、味わい深いダージリン。
なんともしあわせな組み合わせ。

新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくおねがいします。
ひらたこういち
All the tea in China
http://www.chinatea-net.jp/
Junk Box Photo(Blog)
http://tearecipe.exblog.jp/
All About Japan Chiesetea
http://allabout.co.jp/gourmet/chinesetea/

時間が無いと思ってしまうと、もうそれだけで余裕が無くなる。
「もう5分しかない」と思うか、「あと5分もある」と思うかの差はかなり大きい。
本当にこのごろ「急いては事を仕損じる」という諺が良くできた諺だと感心しているのだ。「急げ、あと5分しか無いぞ。」気が付くと、よくそんな風にスタッフを動かしていることがある。でも、これは間違えなのだ。そのプレッシャーが逆効果であることを、このところ痛感している。
「あわてるな。あと5分あるからな。」という一言が、よい結果を生む。結局、「時間がない」は、自分への言い訳だし、心の余裕をそぐことになる。
だから、これからは、決して時間がないという言葉は使わないでおこうと決心した日。
(画像は、中火の凍頂烏龍に雲南省の野生古茶樹の花を一つ浮かべたもの)

年々師走に向けて時間が流れていくときに思うのは、ずいぶんと遠くまできてしまったなあということ。
自分にとってたいそう居心地の良い年齢だったのは、20代後半だっただろうか。ほんの若造でしかなかった時代だったけれど、30歳というのを一つの目標にしていたあのころは、日々が本当に充実していた気がする。
考えてみると、あのころからすっかり自分の精神年齢は成長しておらず、30に向けてダッシュしたときの助走のようなままで、ここまで来てしまったような気がしないでもない。
ここにある沱茶は、1960年に作られた貴重なもの。ちょうど僕と同じだけ年代を重ねたもの。もっともっと時間がたって、僕の人生がどんなであったか振り返れるようになったときに、このお茶を飲んでみようと思っている。
きちんと年代を重ね、おいしいお茶に育っているとよいな。僕もそれに負けないように、良い年の取り方をしていきたい。年だけ重ねて、飲んでみたら全然おいしくないというお茶のようにはなりたくないから。

クリスマスというイベント、キリスト教徒でもない僕には、その深い意味というのはよくわからない。特に、最近ダン・ブラウンの書いた「天使と悪魔」、「ダ・ヴィンチ・コード」を立て続けに2冊(上下巻合わせると4冊)もよんだからなおさらだ。自分の生活のなかに、うわべだけのイベントはあるものの、キリスト教という信仰はない。
NASDで研修を受けていたとき、同僚のMikeに「僕は毎週教会へいくんだ。君の神様は仏陀かい?」と聞かれたことがあった。教会へいくといったときの、彼の誇らしげな顔をみて、つくづく僕の中に宗教を信仰する心が無いことを思い知った。
「特に信仰している宗教はない」と答えたときの、彼の疑念の目は、いまだに忘れることができない。だからついつい言訳をした。「僕が信仰しているのは自然だ。いうなれば、大地の母が神というところだね。」Mikeは、なんとなくそれでも納得できない様子だった。
「日本人の多くは、生まれると神道の社にお宮参りというのをするんだ。大学受験の時なんかも、天神様という神道の神様にお参りすることが多い。でも、神道を信じているかというとそうでもなくて、結婚式の時はキリスト教の神の前で誓いを立てる。そして、お葬式は仏教式であることがおおい。そういう意味では、無信教なんだろうね。でも、きっと、それぞれの人の中に信じる神様というのがいて、僕の場合、それが自然だということさ。特定の宗教を持っていないという意味では、多くの日本人はプリミティブなんだろうけど、それで幸せなんだよね。」彼の驚いた顔は、いまでもよく覚えている。
信じる宗教がない事を恥じる必要はない。自分の中に、信じられるものさえ持っていればいいのだから。むしろ、さまざまな宗教を受容できる日本人の無節操さを愛すべきではないのだろうか。キリスト教のイベントだって楽しんでしまえる無節操さを。
むしろ、特定の宗教のもつ排他性を考えれば、無節操と言われようと、さまざまな宗教のイベントを受容できるほうがましなんだろう。何千年前から繰り広げられる戦争の多くは、その根底に宗教が見え隠れしている。だから僕たちは自分の信じるものを信じればいいのではないか、いまでもMikeに話した話は、自分の本音であったと思っている。
だからこそ、クリスマスツリーを眺めながら、茶をすするということができるわけなんだが。
今年の頭に、「2004年に飲んでみたいお茶」、「2004年に行ってみたいお店」のアンケートをやった。お茶もお店も、まあ順当な投票結果であったのではないか。
お茶の方は、やはり圧倒的に青茶が強くて、もうすこしプーアールとか紅茶がはいるかなあと思っていのにそうでもなかった。特に台湾茶が人気だった。強いね台湾茶。でも、確かにおいしいしね。高得点を取るのも無理はない。
店の方は、どうしても首都圏あるいは大都市圏のお店の得票数が伸びてしまうのは、この手のアンケートの欠点でもある。なにせ、僕のサイトのビジターは、圧倒的に首都圏の人がおおいのだから。でも、できれば、あまり知られていない地方のみせで、ここは!というのが上がってくると、とても面白いのだがと思う。
こういうランキングは、店の人には気になるのだろうか。まあ、上位にランキングしていたにこしたことはないんだろう。(オールアバウトの中国茶サイトなんて、オールアバウトの数あるガイドサイトの中では、真中あたりに埋もれているサイト(他のグルメサイトは軒並み人気なんだがなあ。)でしかないのだから、そんなに気にする必要はないかもしれない。それでもここのBlogのアクセス数を軽く桁違いにするだけの人が訪問してくれているので、それはそれでありがたいことだ。もっと頑張らなければ。)
それで、今回は「2004ベスト中国茶10」と題して2004年に飲んだお茶、行った茶館(国内編)、行った茶館(国外編)に加え、オンラインショップのランキングもやってみることにした。どんな店があつまるのか、ちょっとたのしみなのだ。
でも、思いのほかオンラインショップを使っている人が少ないのが現実のようで、もっといろんな処のお茶を試す楽しみを知って欲しいなあなんて思ったりする。
とりあえず、投票は24日まで。
みなさんの投票をお待ちしています。

無印良品の中国茶は、すこぶる評判がいい。のーとみさんのblogによると、有楽町のお店ではなんと種類が80種類もあるのだとか。確かに僕の家の近く(橋本)の無印良品にも、数種類だが定番のお茶がそろっている。
それにしても、どうしてこんなに無印良品は中国茶に力を入れたんだろうか。ブームだということもあったのだが、無印良品がターゲットにしたコア層にマッチするという判断があったのだろうか。
で、無印良品がこれから伸びようとしている時期に良品計画という会社の名前を知った。無印良品を展開している会社が、この良品計画だった。
良品計画は1995年の8月にJASDAQ上場を果たしたが(今は東証二部)、当時JASDAQの審査などにもかかわっていた僕自身、この会社の中身をいろいろと点検審査したことがあった。そのときの取り扱い商品にたしか中国茶はみあたらなかったはずだ。
そんなことがあったから、無印良品がなんとなく身近に感じられていたのだが、1997年になって、僕がXiang Le中国茶サロンに通っていたときに、一緒に授業を受けていたMさんという方が、良品計画の役員だった。だから、いろいろとMさんと良品計画談義をしたものだった。
世界のあちこちを飛び回って、さまざまなものと接している、非常に奥行きの深い方だったMさんが、中国で出会ったお茶に惹かれたのは、当然の成り行きだったのかもしれない。どんなにお忙しくても、きちんと教室に参加されるMさんの中国茶に向かう姿勢は、当時へろへろになりながらも、どうにか教室に通っていた僕なんかよりもよほど真摯だった。
サロンが神谷町から東銀座に移ったころからMさんのお姿を見かけなくなってしまったが、そんなころから、無印良品に中国茶が並ぶようになった。だから、多分、推測するに無印良品が中国茶を扱うことになったきっかけを作ったのが、このMさんだったのではないかと思っている。この方が何らかの形でかかわっていたのではないかと僕は信じている(ただし、これは推測であり、真偽の程は不明である。)。
その後、一度だけ、サロンに久しぶりに顔をだした時にMさんにお会いした。そのときにはMさんと無印良品の中国茶のかかわりについてお聞きするのを忘れてしまったが、すでにMさんは会社を退任されたらしいということだった。でも、こんな人間的にも魅力のある方が、まじめに中国茶にむかったからこそ、無印良品の中国茶はきちんとしたものを取り扱っているのではないか、そう信じたい僕であった。
Mさん、お元気でいらっしゃるでしょうか。

確かに、中国茶に嵌った理由は、「とても香りが良くて、おいしかったから」だけだった。当時はまだ回りに、そんなに薀蓄はころがっていなかったので、結構すんなりと入って行けたかもしれない。
ところが、「ほんわか茶飲み日誌」のカワスギ・ヒロエさんの書かかれた文を読んで、なるほどなあと、思ってしまった。
中国茶については、 細やかにいろいろのことが語られているようで、 ビギナーにとってはズバリ、 先人によるそのうんちく堆積の気配が重い。 中国茶の上にうずたかく積み上がったうんちく山が目に入ってしまうと、 「これ掻き分けないと、そこに埋まっているお茶には出会えないわけですか。とっても大変そう。」 そんなふうに感じちゃうんですね。
そうかもしれないなあ。薀蓄を傾けている先人として、やや反省(笑)。
でもねえ、中国茶って、なんか知らないけど語ってしまう部分ってあるんだよね。自分では薀蓄を傾けているつもりはないんだけど、「中国茶なんて、おいしければいいんですよ。」なんて言ってること自体、すでに薀蓄を傾けていることになっちゃうのかも。
何事にも薀蓄は付き物。例えば、栗の御菓子のことについてだって、「おいしいねえ」とか「秋はやっぱりくりきんとんだよね」なんていう言葉から出発しても、その先には、「栗はやっぱり中津川だよね」とか、「くりきんとんといったら、やっぱすやだよね。」とか、さらには、「すやのくりきんとんは、そのときの栗の状態にあわせた砂糖の加減がいのちなんだよな」なんていう薀蓄も傾けられてしまうので、これは中国茶に限ったことではないはずである。
では、なんで、中国茶は薀蓄がこんなに沢山あちこちに転がっているのか・・・。多分、それは茶葉の多様性、茶文化をめぐるさまざまな事象(茶器だの茶芸だの、歴史だの・・・)があまりにも沢山あるからではないかと。
だから、いろんな人がいろんな切り口で、お茶を巡る様々な思いを語りたくなってしまうということなのではないかと思うのだ。
是非、ビギナーの人は、そんな薀蓄の山に臆することなく、ともかく近場から攻めてみて欲しい。それこそ、エベレスト級の薀蓄が遠くにそびえたっていたとしても、山登りをはじめる人は、いきなりそんな高い山を目指さないでしょ。まあ、高尾山ぐらいから初めてみてもらうということで、どうだろうか。
飲んでみないとはじまらないからね。中国茶は。
ちなみに、この画像は、安徽省の黄山茶区で作られる工芸茶。
「孔雀開屏」という名前のお茶で、湯をさすと、次第に孔雀が羽をひろがるのだ。
茶を鼻、口、喉だけではなくて、目からの楽しんでしまおうという工芸茶の傑作。
味わいもなかなかのもの。
こんな薀蓄なら、いかが?


台湾でならありそうなこんな飴。きっと去年の花粉症騒動?!のときに、考え出されたんだろう。たまたま行ったスーパーに売られていた。
凍頂烏龍茶から抽出したエキスに12種類のハーブエキスを混ぜ、さらに紅茶エキスを混ぜている。まあ、普通ののど飴と思えば、よいかもしれないが、どうせなら、凍頂烏龍の味わいをもっと前面にだしてほしかったなあ。
NOBELの商品。
(たまには、こんなネタもいいか・・・。)

今日は姪っ子の20回目の誕生日である。もうそんなに時が経ってしまったのかと、まったくもって時間は早く流れるものだ。
僕がNYで暮らしていた15年ほど前、彼女もニュージャージにいて、一緒にクリスマスやキーウエスト、ディズニーワールドなどを楽しんだものだが、その姪っ子もいまや成人。そして中国茶好き。
そんな彼女の誕生日プレゼントは、前から気に入ってた周菊英女史の茶壷と、紫砂の茶海、そして台湾のお茶をプレゼントした。
じっくりとお茶を楽しんでほしいのもだ。

秋がだんだん色づいてきて、風の中にも秋の香りが立ち込めるようになった。
秋の香りといえば、記憶の中によみがえるのは、やはり金木犀。
高校に通う道すがら、金木犀の木が何本か植えられていて、秋になると小さな花が一面に咲いていた。秋のコンサートに向けて、ギターの練習を部室にこもってしながら、時々窓から入ってくる金木犀の香りにふと、思いを飛ばしていたあのころ。
そういえば、このコンサートは、いつも学園祭の後に開かれていたっけ。オフコースだの、だれかのオリジナル曲などを、一人で引き語りしてたのは、高校2年の頃。そのすぐ後、僕は写真部に移籍した。でも、少女マンガばかり読んでいる不真面目な部員だったなあ。当時の写真で残っているのは、戸隠牧場で撮影したマホ先輩とチズのポートレートだけ。
そういえば、高校2年の学園祭は、クラスの皆と映画をつくった。監督は今は警察官になっているはずの花輪。助監督が大山と僕。いまもまだ使われている「公孫樹祭」という学園祭の名前を考え出した宍戸の家に泊まりこんで撮影した8mmを編集したんだっけ。代わりばんこでカメラ回して、音撮りをして、なんどもNGだして。みんなで大笑いしながら、 楽しんだっけ。主役の水上とか、籾井とか、みんなどうしているんだろう。
あのときの映画に使ったバラード曲がイーグルスの「ならず者」だった。何故かこの曲が僕には金木犀と関連付けられている。映画を撮って歩いていた時は夏の終わりだったので、直接この曲とは関係がないはずなのだが、案外記憶なんていいかげんなものかも知れない。
それでも、金木犀の香りに誘われて、秋にはときどきそんな思い出を引っ張り出しながら、高山茶を飲む。ずいぶん遠いところまできてしまったんだなあ。

家族で買い物にでたら、あちこちで金木犀の香りが漂い始めていた。
自転車を止めて、香りの元を探すと、まだ蕾?というような小さな金木犀の花が咲き始めているのを発見した。
まだ、こんな蕾みたいな状態なので、とてもよい香りがする。
徐々に、香りが強くなっていくのだろう。
桂花の乾燥させたものを、高山茶の上に振りかけて、自家製の桂花烏龍茶作って、そろそろ飲みたくなっていた。
もう、秋なんだね。

1996年8月にプレオープンし、1996年11月に本番稼動した僕のウエブサイト「遊笛山房」。最近はオールアバウトの更新に時間がとられ、また重なる部分も多いことから、ほとんど更新せず放置状態だった。遊笛山房という名前も、もうなんだか役割が終わった気もするので、昨年からサイトを手直しするぞ!と思いつつ、全くいままで手付かずだった。
ここにきて、仕事のペースも掴めるようになったから、ちょっとずつもう一度全てを見直そうと思い、ようやく週末から手を入れ始めた。
サイトデザインよりも中身だということは分かっているんだが、どうもついつい表紙デザインを如何し様かなどとあれこれ思い悩んで、そこだけ出来たらもう終わった気でいる。(笑)
まずは、ChinateaABCから再構築。まだまだ書きかけのページが我が家のMOの中に沢山あって、UPすらされていなかった状態なのだが、今回はできるだけミニマムにと思っている。これだけ中国茶の情報があちこちで見られるようになったので、基本的なあるいは共通するような情報はそちらを見ていただくことととして、焦点を絞ろうかなと思っている。
とにかく、このサイトのメインは、「中国銘茶図譜」であるわけで、ここにどれだけ手をかけられるかということ。飲んで画像を撮ってそのまま放置してあるものや、既に新しい茶葉の画像がありながら、内容を見直してないページとか、そんなところがたくさんある。これも少しずつ進めていかないとぜんぜんはかどらないなあ。
それから、お店の情報は、常に手を入れないと使えないので、全面見直しが必要。オールアバウトで紹介しているお店もあるので、原則情報としてのリストにしようかなと思っている。
本の情報は、すでにamazonなどの検索機能を使えば国内で発行された関連書籍の詳細を見ることができるので、ここに掲載されていないようなものだけにとどめようかと。
まだまだとりかかったばかりなので、サイトを立ち上げたばかりの人のホームページ状態だが、とにかく手を入れよう。ということなので、今しばらく、こんな状態になってしまうとおもうが、利用されている方には、ご了解願いたい。
新しいサイトは以下のとおり。
All the tea in China
http://www.chinatea-net.jp/
P.S.
恵さん、100qですが、アドレスが変わりました。
よろしくお願いします。m(__)m

とても残念なことだが、11月一杯をもって、ニフティーにあった「茶の文化フォーラム」が廃止になる。ここでいろんな人たちと知り合えたのが、今では僕の財産になっているのはいうまでもない。そしてこんな素敵な場所が無くなってしまうのはとても寂しい。
そこで、もともとのスタッフを中心に、場所をニフティーから専用のウエブサイトに移して、心機一転、あらたに明日22日からスタートすることになった。名前も「Tea World Communication - ftea」。
基本は、掲示板。いろんなことをここでみんなで会話しようというニフティー時代からの基本的コンセプトはそのままに続けていくことにした。
その上で、スタッフが気ままに綴るblogだのリンク集だのと、お茶の文化に関する関するポータルサイト的な役割をももってしまおうという欲張りなサイトを目指している。
それから、途中で中断してしまっているが、「All About Tea」の翻訳プロジェクトも継続していこうと考えている。
興味のある方は是非覗いて見てほしい。そして是非参加してください。
なお、ちなみに、新生fteaのスタートを記念して、10月30日(土)にはTea World 2004というお茶会も予定している。詳しくは、新生fteaのイベント掲示板を参照のこと!

僕の大好きな香港には、中国茶の店がたくさんある。大きくて有名な店から、本当に地元密着型の小さなお店までさまざま。観光客に近い僕のような人間には、地元密着型の小さなお店は、なかなか入りずらいし、どれがおすすめかというのも、語学の関係でなかなか通じなかったりする。
もちろん、あらかじめさまざまな情報があって、足を踏み込むことのできるお店であるのなら、それなりに、あるいはおもったよりもずっと収穫が多い。
僕たちの仲間内では、すっかりと有名な茗香茶荘などは、息子さんがいないとほんとうは言葉が通じないので全くのお手上げ状態。でも、僕たちは、ここの「冠軍茶王」がおいしいという情報を持っている。冠軍茶王がおいしいということは、その手のお茶なら、基本的には満足できる水準のお茶だということを推し量ることも可能だ。
身振り手振りで、他のお茶の試飲もさせてくれる。しかも、お茶仲間のMOMOさんという強い味方がいるので、本当に助かってしまう。
ところが、町の真ん中にあるような、何気ない町の中のお茶やさんは、なかなか入るのに勇気がいる。もちろん一歩入ってしまえば、こちらも厚顔無恥ぶりを発揮して、英語でがんがん話しかけて、話が通じないなら、身振り手振り、あるいは、筆談という手がある。

そんな風にして、突入したのが祺棧茶行(KI CHAN TEA)。もちろん、名前は知っていた。ここのお茶も飲んだことはあった。でも、どうもこのお店、地元密着型。旅行者にしてみると、なかなか入りにくい雰囲気。お店もいかつい親父たちが数名。タバコをすっていたりする。
店のつくりは、結構明るい。えいやあと、飛び込んでみた。お徳用プーアールと白牡丹。これが今回の狙い。プーアールは、「ポウレイチャ」で通じるので、散茶でおいしいものを出してもらう。英語は、このときはだめだった。
最初にだしてもらったのが、やや酸味のある若いもの。明らかに黴臭がある。無言で首を横にふると、試飲させてくれた親父は不服そう。「黴臭」が通じない。なので、もっと甘みのあるものと伝える。次にでてきたのにも満足いかない。これでこの値段か・・・。そして4度目に出てきたのが、これならという品物だった。たしかに、散茶では、これが限界なのかもしれない。林奇苑だと、餅茶をくずしたものを出してくれるんだが、ここは、餅茶は餅茶としてしか売らないみたいだ。こういうところに、コミュニケーションの限界が出てくる。やむをえまい。
白牡丹は、最初から上等なものをと指定して出してもらう。まあ、これだけねばって、あれこれわがままままいうのだから、多少は多めに購入しないとねえと、両方とも1斤づつ。これはまあ、お茶仲間にお土産だね。白牡丹は、普段のがぶ飲みにもOKなので、消費可能だろう。
こういうお店に一度、一人で飛び込めるようになると、厚顔無恥ぶりに拍車がかかるが、それ以上に度胸がすわるのはそれなりの収穫だろう。おいしいお茶を求めての御茶屋めぐりには、この度胸こそ、必要なものではある。

海風號のパッケージと対照的なのがFormosa Tea Connectionのもの。まず、和紙の手触りがとてもよい。しかも、そのパッケージングの仕方がまた凝っているのだ。これはオーナーの留美さんの手つくり。センスが抜群のそのパッケージ見たさにお茶を買ってしまいたくなる。
その表を包んでいる青い和紙を剥ぐと、銀色のアルミガゼットが出現するのだが、そこにも、ちゃんと美しい書体のシールがはってある。それがまたなんともリリカルだ。
Formosa Tea Connectionの茶譜と同じ書体。色つきのフォントだが、日本古来からの色使い。そんな端々にまで気遣いの置き届いたお茶のパッケージは、ちょっとお目にかかれない。
そしてそんなパッケージを開けて出現する台湾茶は、作品と呼ぶにふさわしいできのお茶だ。これはとにかくFormosa Tea Connectionのお茶を飲めばすぐにわかる。
パッケージとその中に包まれてるお茶の味わい。そんなものがハーモニーとしてFormosa Tea Connectionのお茶は存在しているのだ。

今日はまう茶のお茶会に参加させてもらった。去年も参加した「梨狩り茶会」。その名前のとおり、梨園で梨をとった後、梨などを食べながら、お茶を飲もうというもの。なんか短絡的な名前だなあ。(笑)
で、場所は去年と同じ「田村果樹園」。川崎市多摩区中野島にある果樹園だ。このあたりは、多摩川梨といってこのあたりは多摩川に沿って梨園がたくさんあるのだ。この中野島も梨園があちこちに点在している。今の時期一番おいしいのは赤梨の豊水。この梨は、本当に甘くておいしい。
梨は、実の部分をもって、それをくいっとひねって上に持ち上げると、すぐにもぐことができる。すこし赤味のある、表面がつるりとしたのがおいしい梨なんだとか。去年より若干小粒の梨。よさそうなものを選んで5つばかり。ちょうど2キロだった。これは嫁さんと息子にお土産。
僕らが梨狩りを終えた後、団体さんが梨狩りにきていた。人気の果樹園なのだろう。
ひとしきり、梨狩りを楽しんだ後は、梨園の一角を借りてそのまま茶会。

緑茶から初めて、鉄観音、岩茶、単叢のあと、台湾茶など、10種類ぐらい飲んだだろうか。なにを飲んだかは、きっとみえさんが記録してくれるに違いない。(笑)
お菓子もいろいろとあって、蒸し暑い野外でのお茶会だったか、妙にまったりと。三枡屋の麦落雁とか中野島銘菓「なかのしま餅」などの和菓子や、みえさん特製のケーキ、台湾の牛舌餅や茶葉梅、そして田村果樹園でいただいた梨などを方張りながら、おいしいお茶をいろいろとわいわいと楽しんだ。
3月にシンセンで買ってきた「古単叢」や蘭亭の香檳烏龍が妙においしくなっていて、びっくり。ここの水にあうお茶だったのだろうか。
相変わらず、蚊の攻撃にはめげたものの、おいしい梨とおいしいお菓子と、そしておいしいお茶でほっこりした午後だった。ああ、今日はなんだか小学生の作文みたい。これで最後に、「またきたいとおもいました。」とでも書けば、本当に息子の作文だ。(笑)
P.S.
参加できなかったTCCの仲間には、次回TCCの「京都の和菓子を楽しむ品茶会」に株さまが梨を持参するそうだ。おおいに期待していてほしい!

「忙しすぎて」 なんだか歌の題名みたいな響き。でも、そんな歌はない。「愛しすぎて」とか「寂しすぎて」とかそんなのだったらあるかもしれない。でも、今の僕の状況は、本当に「忙しすぎて」なのだ。誰かが、「忙し好きで」と読み違えそうだが、決してそんなことはない。
だいたい、いそがしいから、こんなくだらないことをネタにするしかないという現状がめちゃくちゃ悲しい。そこまでしてUPする必要もないのだと、またのーとみさんに言われてしまいそうだが、それでも自分のサイトを更新できない今、ここを継続するのがとりあえずの気休めなので・・・。(苦笑)
夢枕獏の本を買い間違えた。本当は、のーとみさんが書いている「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を買わなくちゃいけなかったのだ。でも、寝不足の僕が手に取ったのは、「 魔獣狩り 」だった。こりゃ、寝不足の頭では絶対に読めないエログロの世界。スプラッターだなんて、そんなことはいってられない展開。こりゃブックオフ行きだな。
「天国の本屋 うつしいろのゆめ」にすればよかった。結構、このシリーズすきなんだよね。「海猫」でもいいかも。伊藤美咲がヒロイン役をやっている映画が作成されているらしいが、ちょっと見てみたいきもする。あとは「スイングガール」か。これも映画になるね。先週「NARUTO」を見に行ったときに、予告編をやっていた。
寝不足で、頭がぱにくっているときには、素直にすっとよめて、人畜無害な本がいい。もうすこし、体力が戻ったら、海外物のミステリーにでも手をだそう。
そうだな、これから秋に向けて岩茶を飲みながら、そんな読書三昧も良いかもしれない。その楽しみのために、今はがんばって仕事をする。今日もタクシー帰りだけど。

赤い色って、結構すきなのだ。昔から好きだったわけではなくて、そう、35を過ぎたあたりからかな。年を取ると派手になる?(笑)
お茶のパッケージで、こんなにまっかっかなのは、ほかにあまり見かけない。でも、この派手さ加減がまた妙に気に入っている。
最近だいぶあちこちで見かけるようになったこのスタンディングパウチ。でも、こんなに赤いのは海風號のだけだね。これに以前は、黄色と黒の海風號のシールが張ってあった。これがまたいい具合の色合いなのだ。
お茶のパッケージって、そのお店の趣味が如実にあわられていると思うのだ。Formosa Tea Connectionの渋いのも大好きなんだけど、海風號のこの派手なパッケージもとてもよいと思う。
もちろん、なかに入っているお茶のおいしさが伴うことが最重要であることはいうまでも無いけれど、こんなところに、何気なく気を使っているのって、やはり買う側としてはうれしいと思う。

今週はまたまた忙しさに拍車がかかって、自宅に帰るとそのまま着替えてベッドにという生活が続きそう。じっくりゆっくりお茶を飲むなんてことは望むべくも無く、オフィスでデスクのPCに向いながら片手で飲んでいるのは専らペットボトルのお茶。マグカップにお茶を作ることもできないのだから、かなり悲惨な生活である。
ところで、せめてペットボトルのお茶でもおいしいものをと、通勤がてら近所のコンビにを覗くのだけど、またぞろいろんな新作ペット茶が棚に並んでいて、どれにしようか迷うことしきり。
いくつか目新しいものに手を出したりしてしまうんだけど、結局最近ではほとんど無意識に手にとってレジに持っていくのはこれらのお茶(上下の写真参照。)

いわゆる、これらのお茶が僕の定番ってことになるのかな。では、この定番って、なんで定番になるんだろう。僕の場合基本的には「違和感のなさ」が重要な地位を締めているような気がする。
飲んでいて気にならない。普通に飲める。時に、ああ、ペットボトルにしては美味しいかもしれないなんて。なんでそれがサントリーの烏龍茶なのか?うーん、この当りは自分でもよくわからない。慣れ?というのもあるのかな。普段お酒を飲まない僕は、大抵飲む席では相手がきづかってくれて、烏龍茶が出てくるが、大抵はサントリーの烏龍茶。もちろん高級な料亭などの場合は、結構おいしい煎茶がでてきたりしてそれはそれでうれしいのだが。そんな席を数こなしていると、サントリーの烏龍茶は、いわゆる中国茶としてというよりも、普段の生活に近いところにある飲料とでもいったらいいんだろうか、そんな感覚になってくるのだ。
やはりこれも慣れなんだろうか。すっと口の中にはいって、そこにある香りとか味わいの奥深さなどをじっくりと堪能するというお茶の飲み方ではなく、水をごくごく飲んで、ああおいしかった、そんな感じに近いのかもしれない。
伊藤園の「おーいお茶」もサントリーの「烏龍茶」も無香料だというのが、そんなの見やすさにつながっているのかもしれない。飲み易いから飲む。飲むから慣れる。慣れるから定番になる。定番ってそんなものかもしれない。

火と水は相容れない性格。でも、火と水が出会って恋をすると・・・。
そうなんだよね。火と水がであうと湯になるんだ。そしておいしいお茶が飲めるというものだ。
このディズニーシーの新しいイベント「ブラビッシーモ」をみて、「ああ、フレッシュウォーターを沸かすと、おいしいお茶が淹れられる湯がつくれるなあ」なんておもってしまう僕は、相当どうかしているのかもしれないね。
ああ、そろそろおいしい岩茶を飲みに行こうかな。

サンドイッチは、ジョン・モンターギュ・サンドイッチ伯爵がポーカーの合間の虫養いのために作ったといわれている。キューカンバーサンドイッチだったかどうかはしらないが、丁度アメリカの独立戦争の頃だというので、多分当時の風習として一緒に飲まれたのはコーヒーではなくて、紅茶だったのだろう。なぜなら、ボストン茶会事件ね。
で、たしかに三団重ねのアフタヌーンティーの時に紅茶と一緒に供されるさまざまな食べ物の中にもサンドイッチが含まれているし、紅茶の本などには、よくサンドイッチの作り方なんかが掲載されたりしている。
ここで、はたと思ったのだが、僕的に「サンドイッチと紅茶」という組み合わせは定番かと。そうなのだ、パンと紅茶よりもパンとコーヒーが個人的には好きだ。だから、サンドイッチともコーヒーを合わせたいと思う。
もちろん、週末の朝ご飯は、オレンジジュースとトーストとサラダと紅茶(ときにはチーズやゆで卵orスクランブルドエッグ)というのが、我が家の定番ではあるが、もし、コーヒーがあれば迷わずコーヒーになってしまう。
週末に過ごしたミラコスタのブレックファーストバイキングでも、「コーヒー、紅茶、どちらになさいますか?」と聞かれて無条件で「コーヒー」を頼んでいる。お茶好きといいながら、こうして食事にはコーヒーというのが習慣になってしまっているのは何でだろう。
ケーキといえば、これは絶対に紅茶になるのだけれど。サンドイッチは、やはりルーツはともかくとして、僕には食事という感覚なんだろうね。

時々無性に漬物と白飯を食べたくなる。こればかりは日本人であることが本当に嬉しく思える瞬間。アツアツのご飯とこりこりの漬物。漬物の種類は問わない。最近は京の漬物(こなすとか壬生菜などがいける)が好きだが、信州っ子の血を受け継ぐ僕は野沢菜も大好きだ。もちろん、高菜ごはんだって大好きだしねえ。
で、漬物を食わせてくれるお店といえば門前仲町の「近為」。京風漬物とぶぶ漬けで有名な店。ランチの時間には行列が出来るお店である。上の画像は、その店の行列風景。女性ばかりなので、並ぶのにはちと勇気が必要ではある。
漬物を食べながらご飯を食べる。大抵お茶が出てくる。こう言うときの茶は玉露とか高級煎茶というのは似合わない。絶対に番茶であるべきである。そうすれば、ご飯に漬物といえば茶漬けにしてしまうという手もある。
そういえば、コレド日本橋の地下に茶漬けやができたが、あそこのは茶ではなかった。出し汁の茶漬けもそれはそれでおいしいのだが、やはり濃い目にだした煎茶や番茶をさくっとご飯にかけてさらさらと食べるのが一番だ。

ところで、この漬物っていうのは、なんだか茶にも共通するところがあって、四国では碁石茶やら黒茶が発酵過程で漬物のような形式をとっている。ミャンマーにはラペソーがあるし、タイにはミエンがあって、これなんか本格的に漬物だ。雲南省にも酸茶という茶のつけものがあって、乳酸菌発酵をさせる。
食料を保存させ、さらに美味しくする生活の知恵が永い年月をかけて生み出した漬物。それを白飯と茶というコンビネーションで食べられる幸せ。絶対に後世にまで残さなければいけない文化だと思う。

時々、ほんのたまにだけど、一人でふらりと茶館に出かけたりする。都内のど真ん中にあるような茶館では、なぜか面が割れていることが多いので、とにかくのんびりと茶を飲みたいと思うときには、すこし都内から外れたところにある茶館に行くといい。
店の雰囲気は大事なのだが、さらに大事なのは、お茶のおいしさ。お金をはらって飲むに値するだけのものを用意してくれているかどうか。ここが一番のチェックポイントになる。あとは味と値段のバランスだろうか。
例えば、ドトール、いやいやスタバに比べたって一杯のお茶に相当高いお金をだすのだから、まずいと許せないよね。ただ、これは自分の中だけの尺度で判断するしかないので、自分が満足すればそれはそれでいいということになる。
もっとも、お茶は普通だけど、スイーツが絶品なんだよな!というようなところは、僕の場合OKだったりする。(笑)
それから、お茶に満足しても、雰囲気や音楽、そして回りの客層なども重要なポイントではある。わざとらしい音楽よりも、リラックスできるものがいいなあ。音楽だったら、そうだなあ。中国茶=中国音楽というのは、なんか短絡的過ぎて。個人的にはまったりしに来てるのだから、まったりと出来る音楽が、控えめにかかっているのが良いかもしれない。
お店の内装も、できればあまり「茶館らしすぎる」のではなく、さりげないものがいい。もちろん暖かな雰囲気があればさらに言うことは無い。
で、客層。ここで茶さるさんが糾弾しているような「声のでかいおやじの厚顔無恥な振るまい」というのは、絶対にゆるせない。これが、「厚顔無恥なおばさん」でも同じだ。
くんしゃんさんにはもうしわけないが、タバコをすぱすぱ吸っている奴が近くにいるのも許せない。おい、他人の吐いた煙なんか吸いたくないぞ!という感じだな。日本の禁煙は、あまりにも形式すぎるのだ。禁煙といったら、完全に禁煙だろ。モスバーガー茅場町店ぐらい潔く禁煙と喫煙を分ければいいのだ。
もちろん、最初から喫煙OKの店なら、これは自分が入ったのだから、その覚悟でいるしかないのだが、禁煙席といいつつぜんぜん禁煙になっていないのは、全くもってけしからん話しだ。
で、こういう自分にマッチしたお店が運良く見つかれば、あとは、茶やスイーツを前に、自分の好きなことをしながら時間を過ごすのだ。僕の場合は、大抵本をよむか(ああ、もちろん写真を撮るのが一番最初だが・・・(笑))、ノートにあれこれと断片を書き連ねたりする。この断片も、WEBのネタであったり、AAJのネタであったり、いろいろだ。
今日当たり茶館に行ったら、そうだな、金曜日のフリマ茶会に出展するもののラインナップでもメモするのだろうか。
いやはや、本当にこれはやらんといかん。こんやあたり、なにを出すか真剣に考えないと。家にあるけど使わないもの。茶漉しつきマグなんかを300円ぐらいの値付けでだすかな。
もちろん茶仲間といるときには、それぞれの状況に応じてということになるのだが、まあ、一人の時は、こんな具合に、茶館では時間を過ごすのがよい。

お茶の無い一日というのは、いままでほとんど考えられなかったのだが、今回の宮崎旅行で、実はお茶を持参するのをすっかり忘れていたのだ。
台風-飛行機-たいへんだあ!という状態だったのがその敗因。(笑)
で、本当なら、鉄観音とか鳳凰単叢なんかを持参するのだが、お茶が無いのなら、まあ、それでもいいかと居直って、今日は一日、Coffee Dayにした。
で、ここは宮崎 シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート。
一階にあるパシフィカでケーキとコーヒー。マンゴムースに深みのあるローストのコーヒーがなかなかのマッチング。
ここは、なぜかハワイアンが流れるカクテルバーなのだ。中央にある大きな水槽には、色とりどりの熱帯魚が泳ぐ。ハワイアンのアコスティックギターに身を任せながら、おいしい午後のコーヒーを楽しむ時間というのも、またおかし。
お茶の無い一日も、たまにはいいかもしれない。

で、とんじゃったんですよ。飛行機。夕べあんなに乗りたくない!飛ばないほうが良い!なんて書いておきながら、朝、空港にいったら、台風の影響を受けているのは、なんと四国の高知行きの便だけだったのだ。
しかもオンタイム。うーん、向こうについたら台風の中で、茶でも飲んでるのかなあと思いつつ、宮崎行きの飛行機に乗りこむために羽田のゲートをくぐったのだ。
しかも、バスでたどり着いたところに止まっていた機材は、ANAのジェットでは一番小さいエアバスA320。まるでニューヨーク-ワシントン間を飛んでいるシャトル便のよう。いやいやシャトル便よりも小さいかも。
4年前の丁度お盆にワシントンからニューヨークまで飛んだシャトル便を思い出してしまった。4時にワシントンを飛び立ち、NY上空を30分も旋回しつづけ、結局「雷雨のため降りられないのでワシントンナショナルエアポートに戻ります」といわれたあのフライト。小さな飛行機で、急旋回をしつづけたので、すっかり飛行機酔いをしてしまった上に、ワシントンに戻され、さらに、次ぎの飛行機に乗れといわれて乗り込んだ機材は、ワシントンから飛び立つことなく、空港の端っこで2時間待機。結局、別の飛行機に乗り換えて、さらに1時間。結局NYに降り立ったのは、23:00だった・・・。
そんないやな出来事を思い出しつつ、飛行機に乗りこんだのだが、いやあ、実に快適だったんだなあ、このフライト。台風の影響で若干航路を変更したといいつつも、台風の雲が吹き上げてる地域をフライトしていた。
「機長の○○です。ただ今当機は兵庫県上空を飛行中です。思いのほか台風の雲が上空まで吹き上げているので、これからしばらくその影響で飛行機は揺れることが予想されます。シートベルトはしっかりと締めるようお願いします。」
こんな放送があったにも関わらず、全然揺れなかったのだ。
そんな時間に飲んだのが、サントリーの烏龍茶。
うーん、台風の上で飲む烏龍茶は、揺れるとやだなというちょっとどきどきした気分の中で、すっかり乾いてしまった喉を潤してくれた。いやあ美味しかった。
無事定刻どおり到着した宮崎空港は、晴天だった。

台風10号が来ている。大きな台風だ。しかも、明日から行く九州方面へ向っているのが気に食わない。多分四国に上陸して、へたすると大分当りに引っかかる可能性が大だ。明日の夕方には暴風雨圏に突入する可能性が大。ならばいっそ、飛行機が飛ばないほうがいいか。
何を隠そう、これだけ飛行機乗ってるのに、飛行機は大嫌いだ。あんな巨大な鉄の固まりが空を飛ぶこと自体間違っているのだ。しかも、台風の上を飛ぶなんて、考えただけで身の毛がよだつ。
息子を懐柔して、明日はお台場当りを徘徊して、おいしいアジアンスイーツなんかを鱈腹食べるほうがよほどいい。がしかし、息子は「九州には行くんだよ、とうさん。じたばたしたって飛行機とぶよ。」だと。
たしかに、沖縄旅行が流れたのだから、宮崎旅行ぐらい行ってあげないととは思うのだ。
でもねえ。ジェットコースターと飛行機は、乗らないにこしたことはない。
これは多分、トラウマってやつ。
もう15年ほど前。デンバーからニューヨークに向う国内線で、ラガーディ空港に着陸する寸前、ハードランディングをするので頭を両膝の間に突っ込めといわれた。しかも、エンパイアステートビルがすぐ下に見えるところで、100mぐらいエアポケットで落ちるなんて体験をしてしまうと、ちょっとやそっとの揺れではびくともしなくなるか、逆に絶対飛行機なんか乗らない!となるかのどちらかだろう。僕の場合は、後者だったということ。
ああ、明日の飛行機のことを考えると、こんばんは眠れそうに無いなあ。悶々としながら、茶でも飲んで過ごすしかないかなあ。sigh・・・

こんな取っ手を見つけた。
入り口のドア、クローゼットのドア、そしてトイレのドアについているのは、なんと茶則だ。
しかもこの茶則、鉄でつくられているものの、ものすごく緻密に出来ている。大きさも、全く普通の茶則と同じ。それもそのはず、この取っ手にされている茶則は、普通に使われている中国茶用の茶則をそのまま型にして作られたもの。
こんな小技が使われている茶館は、大人の隠れ家「迎茶」だ。
「友達のデザイナーが茶則をみて、これ面白いじゃないといって作ってくれたのが、この取っ手なんです。」とオーナーの貞重さん。それをこんな風に茶館に使ってしまうのは、貞重さんのセンスでもある。
とてつもなく大きな茶壷をディスプレイするとか言うのと違って、こういうちょっとしたところにこういう遊び心があるのは、とてもうれしいことだ。
しかし、鉄でそのまんま茶則が作られているというのもいいなあ。これもしかして一本欲しかったりする。かといって、トイレの取っ手を持って帰ってくるわけにはいかないからなあ。(笑)

のんびりとした時間をすごしたいとき。
気心の知れた仲間とお茶の時間を過ごしたいとき。
おいしい料理に舌鼓を打ちながら、お茶も楽しむ贅沢なとき。
大人の宴とはなかなか良い言葉かもしれない。
こんな時間は、きっと子どものころには持つことのできなかった、大人だけの特権。
興味の方向が似ていると、こんなにも話が弾んで時間のたつのを忘れてしまうのかと驚くほど。
もうすぐ遠くへ戻ってしまう人もいれば、しばらく会えなくなる人も居て、
でも、すぐに顔を合わす人もいるし、人生の方向性って、おもしろいなあと。
それでも、お茶を介して知り合った人たちとこんな時間を過ごせるのは、うれしいことだ。

画像をうまい具合に写すのは、なんと難しいことだ。
隠れ家的中国茶Cafeである「迎茶」で、師匠恵さんの指導を仰ぎながらの一枚。
画像は、木柵鉄観音をダブルクーリングでアイスティーにしたもの。
縦位置で画像を撮ることはあまり無いのだが、これは縦位置で。
後ろの茶器を飾ってある棚を暈し気味にしつつ、アイスティーの冷たさを表現できたらいいかなとおもったのだが、どうだろう。
ホワイトバランスが青に傾いているのが良い具合ではあるが、個人的には、もう少しやわらかい光が好きもしれない。

それにしても、似た様な場所から撮影しても、どうしてこう、色合いとかアングルとか、そして画像の持つ表情というのがちがうのだろうなあ。やはり、これは才能の違いということだろうか。恵師匠のようには、なかなか撮れない。
のーとみさんは、「ひらたさんは、横位置で、ひらたさんらしさのでる写真がよいのですよ」となぐさめてくれるんだけどねえ。(笑)
まあ、しばらくは、いままでどおり「数打ちゃ当たる」方式でがしがしと画像を撮るしかないか。
(貞重さん、お騒がせして申し訳ありませんでした。)